

4月21日夜が明け始めた頃
「夜が明け始めた頃」 イースターおめでとうございます。今日の場面は復活後3度目にイエス様が弟子と出会う場面です。主人公はペテロです。ペテロはイエス様を3度否定したこと、また、十字架でイエス様を置いて逃げてしまった、心の傷が癒えないままでした。その結果「漁に行く」と言います。この言葉の背景には、「もう、信仰を辞めた」という意味も含まれているかもしれません。 13章30節でヨハネは受難の始まりを「夜」という言葉で記しています。そして、21章4節では「夜が明け始めていたころ」と表現しています。ヨハネはペテロを意識して受難・復活を記します。夜はペテロの心の暗さ、そして、夜の明け始めはペテロの心の夜明けと取ることもできます。 夜が明け始める時間帯は1番、気温が下がる時間帯です。ペテロの心もどん底であったかもしれません。私たちも、重い課題・動かない悩みに襲われて、信仰が揺るがせられることがあります。これで、終わりだと思う時があります。しかし、夜が明け始めた頃、イエス様は岸辺に立たれます。春になると種を蒔きます。種は土の中で根を出し、芽生えます。私たちの目には


4月7日 聖餐の意味
「聖餐の恵み」 新元号が発表されました。日本は新しい時代に踏み出そうとしています。イエス様の十字架はそれ以上に歴史的に、また、信仰の世界においても全く新しい恵みと時代をもたらしました。その象徴が聖餐です。イエス様は今朝、この晩餐に私たちを招きます。 最後の晩餐で、ヨハネはイエス様のサポート役としてイエス様の目の前の席にいました。ペテロは将来エルサレム教会を率いる重要な立場でしたが、その席は末席でした。トップに立つ人は末席を知る必要があるとイエス様はお考えになったのでしょう。私たちが最後の晩餐に招かれていたとすれば、私たちの席はどこでしょうか。それは、イスカリオテ・ユダの席です。驚くべきことにイエス様は主賓としてユダを着席させます。私たちをも主賓としてイエス様は招いてくださいます。しかし、ユダ同様、イエス様の愛を受け取ることが出来ません。しかし、イエス様はその弱さに対して寛容であり、人知では考えられない忍耐をもって忍んでくださいました。さらに、このうえない優しいいつくしみをもって、私たちの愚かさ、信じることへの恐れに対処してくださいます。そして、パ