

2019年3月31日 銀貨30枚
マタイの福音書27章1~14節 「銀貨30枚」 出エジプト記21章32節によると、奴隷一人の値段は銀貨30シェケルです。現在にすると、約90万円になります。イスカリオテ・ユダは90万円でイエス様を売りました。しかし、イスカリオテ・ユダは後悔し、長老たちに銀貨を返します。しかし、受け入れられず、自死します。長老たちは、銀貨30枚を「血の代価」であるとし、陶器師の畑を買い、異国人のために墓地にしました。異国人とはユダヤの人々から見るならば、汚れた人々です。 私たちは、自尊心をもっています。簡単に言うならば、「自分の人格を大切にする気持ち」ということが出来ます。日本人は自尊心が低いと言われています。その理由は①人と一緒が正とされる文化、②謙虚であることが美徳③テストの点で優劣が決まる教育④スキンシップが少ない(過剰に褒めない)とある雑誌にありました。皆さんはいかがですか。自尊心が低いと①他人と自分を比較する②承認欲求が強くなる③自分の意見が持ちずらく、周囲に流されやすい④結果、不安になる。これは、多くの人が当てはまるのではないでしょうか。 その時、思い


受難が私たちに語りかけるもの
今年は3月6日からレントに入っています。レントとは断食を意味する言葉です。灰の水曜日からイースターまでの期間(聖日を除く)の40日が、四旬節またはレントと呼ばれます。イエス様の受難を覚え、イースターまで、断食をした期間です。私たちは断食はしませんが、イエス様の十字架をしのび、恵みを思いめぐらす期間です。福音書の十字架の場所をこの時期に読むことは幸いです。 ルカは十字架直前のイエス様のお姿と弟子たちの姿を対照的に記しています。偉くなり人々を支配しようとする弟子たちと、罪人に数えられ、人々にあざけられるイエス様、自分の力と情熱で受難を簡単に乗り越えようとするペテロと、ひたすら祈り、神様に力をいただこうとするイエス様、本当に対照的です。 受難は生きているすべての人が様々な形で経験します。受難の時、人は本来の姿を現します。慌てる、怒る、逃げ出す、裏切る、一方で冷静、沈黙、留まる、誠実を貫く様々です。前半の反応は受難から遠ざかろうとする人の状態です。後半は受難の中に留まろうとする状態です。弟子たちは受難から遠ざかろうとし、イエス様は受難にとどまります。私た


3月17日「心の貧しい者は幸いです」
「心の貧しい者は幸いです」 イエス様はガリラヤ全域を巡って、会堂で教え、民の中のあらゆる病を癒されます。その結果、シリア全域に評判が広まり、大勢の群衆がイエス様の話を聞こうと集まります。イエス様は群衆に語りかけます。マタイは2節で興味深い表現を使っています。それは、「イエスは口を開き」です。話を始めるときに口を開くのは当たり前です。なぜ、この表現を使われたのか。この当時、人々は会堂に集まり、書いてある律法を聞くだけでした。しかし、「口を開く」瞬間から、神のみことばが開かれたことを意味します。イエス様の第Ⅰ声は「心の貧しい者は幸いです。」 「心の貧しい者」とは、原典のギリシャ語を直訳すると「霊において貧しい者」です。霊においてとは、特に神との関係においてという意味を持ちます。つまり、神のみ前で貧しく、すべてを神に期待し、神から与えられることを願い求めるしかない人のことです。もっと簡単に表現するならば、何のお返しもできない汚い手で、イエス様に憐れみを請う姿です。この姿勢がクリスチャンの原点です。 その汚れた手に与えられるものは何でしょうか。それは、天


3月10日「心を尽くして主に拠り頼む幸い」
箴言3章1~35節 箴言はソロモンが書きました。ソロモンはダビデ王の後継者です。偉大な王の後を継ぐことは簡単なことではありません。列王記第Ⅰ 3章で神様は不安なソロモンに声をかけます。「あなたの欲しいものを与えよう。願え。」と。ソロモンは「大勢の人々を正しく治めるために、善悪を判断する心、聞き分ける心」を願います。この願いは主のみこころにかないました。そして、イスラエル史上最大の王様になります。 ソロモンが書いたのが箴言です。箴言は知恵の書と言われます。31章あります。ですから、1ヶ月で一回読むことが出来ます。 聖書が教える最大の知恵は「主を恐れること」です。主を恐れることは知識の初めです。これは知的な部分です。知的であっても、人との関わり、生活力においては、また違った能力が必要です。一流大学を出ていても一般的な常識にかけていたり、仕事が思うようにできない人がいると聞きます。IQは知能指数ですがEQは心の知能指数と言われ、感情察知・感情コントロール・対人関係スキルなどを総合的に評価するものです。ネットに簡単なEQテストがあります。挑戦してみてく