

孤独の中で気がつくこと
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。」イザヤ書43章4節 私たちはたくさんの人に囲まれて、助けられて生活しています。職場でも、学校でも、家庭でも人に囲まれています。ありがたいことです。でも、人は自分とは違う考え方、性格をもっています。そして、人は変わりやすいものです。今日、笑っていても、明日は怒っているかもしれません。今日大切にされていても、明日は裏切られることもあります。そんな時、たくさんの人に囲まれていてもふと、孤独を感じる時があります。周りの変化についていけないのです。自分は昨日も今日も変わらないのに。心が痛くなります。そんな時は、フーと息を吐いてみましょう。そして、慌てないで一人になって考えてみましょう。一番大切なことは何なのか。一番優先させなければならないことは何か。一番大切なことは、周囲の人がどう考えるかではありません。一番優先しなければならないのは人が決めたことではありません。一番大切なことは、あなた自身です。一番優先しなければならないことはあなたがどう感じるかです。もし、あなたが危険にさらされているなら、そのままにしていてはいけま


8月28日新しく生まれ変わる
「あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」ヨハネの福音書3章7節 聖書には生まれることが2回ある、と記しています。とても不思議です。でも、良く考えると「生まれ変わったような気持ちになった」と思うことはあります。例えば、生死の境をさ迷い、生還した時、または、生涯情熱を傾けられる世界と出会った時、他にもたくさんあります。 けれども、今日のイエス・キリストのことばは、私たちの生き方、人生そのものを変えてくれます。聖書では、神と共に歩む人生のスタートを新しく生まれたと表現します。それは、今まで見えなかった世界を見るスタートです。長い間、自分を苦しめてきたことからの解放、孤独からの解放、好きになれない自分からの解放、どうしても許せないことからの解放、絶望からの解放、イエス・キリストは目に見えない重い鎖から私たちを解放してくださいます。 今週、一人の方がイエス・キリストを信じて、目に見えない鎖から解き放たれて、晴れ晴れとして教会から帰っていきました。その姿を見るたびに、私は牧師をしていて本当に良かったと思


8月25日神様のみこころを知るために①
この記事はイエス様が十字架に掛かる直前の説教です。もう、見えなくなる。今までのように会話したり、質問したり、食事をすることはなくなるでしょう。十字架で弟子たちはバラバラになります。イエス様のとの関係も今までとは全く異なってきます。イエス様はそのことをすべてご存じで、この記事を説教されました。 ブドウの木と枝の関係は強いです。もし、木が枯れれば枝も死にます。木から水分・養分の補給があって、初めて枝は生きることが出来ます。イエス様と弟子たちの関係はそのような関係であると説きます。十字架・復活でイエス様は天に昇って見えなくなります。しかし、関係性はより強くなることをイエス様は説きます。そして、弟子たちはペンテコステ以後、イエス様と全く同じ道を歩みます。もしかすると目に見えていた時よりも、昇天後の方がより深くイエス様との関係が強くなっていきます。 実を結ぶとはみこころを知ることでもあります。そのための条件は①人がイエス様にとどまること ②イエス様がその人にとどまっておられることです。私たちは礼拝の中で、祈りの中で、みことばの中でイエス様にとどまることが出


8月23日新しいいのちが誕生しました
神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの荷姿に造ろう・・・」創世記1章26節 聖書には人はサルから進化したのではなく、神様の創造のわざの傑作品として造られました。神様は「それは非常によかった」と大変満足されました。私たち、一人、一人を神様は知っておられます。大切な存在として造られています。不要な人は一人もいません。しかし、人は神様から遠く離れて、互いに殺し合い、憎しみあい、自分の利益を求めています。そこから、たくさんの悲哀と心の傷が生じてきます。本来、神様は人をいたわり合う、互いに愛し合う存在として造られました。私たちの教会に昨日、女の子が誕生しました。この女の子も愛されて成長していきます。神様はその子の誕生を「それは非常に良かった」と