

「神の栄光をほめたたえる」必要
「・・・神の栄光をほめたたえるためです。」エペソ1:12 今朝、大きなニュースが2つ入りました。ひとつは夏の高校野球の中止、もう一つは黒川検事長の辞意です。高校野球の中止は何とも言葉が出ません。もう一つの検事長辞意のニュースにも言葉が出ません。疲れがピークにきているのに、さらに疲れを増すニュースです。甲子園という目標に全てをかけて全力で生きてきた球児と国民をごまかそうとする政治の失態。2つとも共通していることは私たちの目にさらされていないことです。寒い冬も暑い夏も走り込み、ノック、筋トレ、つまらない単純な練習が続きます。ある時はチーム内でもめごとがありながらも、それを乗り越えていきます。その球児たちの苦労は私たちの目には隠されています。また、決めつけてはいけませんが、麻雀に依存していたと思われる検事。これも、私たちの目には隠されています。しかし、明らかなことは神様の目には映し出されていることです。そして、必ず私たちの目にも明らかになります。私たちが陰で何をしているか、何を語っているか神様の目には明らかです。良いことも、悪いことも。こころのスイッチ


祈りを捧げています
「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません」詩篇23:1 みなさん。お元気ですか。緊急事態宣言が解除され、ようやく、17日礼拝から始めます。しかし、新型コロナウィルスは存在していますので、席を空けて、マスク着用、手洗い、アルコール消毒をお願いしています。教会は新型コロナウィルスが早く終息しますように、そして、皆様が守られますようにお祈りしています。 多くの方が命を失いました。悲しみの中にある方、医療関係者の方々、福祉関係の方々、また、経済的にひっ迫されている方々のために祈りを捧げています。具体的には何も出来ません。力も知恵もありません。でも、祈りを捧げています。祈りは私たちの心を静めます。また、時として不思議な力として働きます。祈っても何にもならないでしょう、とよく言われます。多分、そうだと思います。でも、私たちの教会には、疑い、不要な恐れ、分裂、はありません。それは、祈りによって心が守られているからです。逆に、お互い励まし合い、支え合う、温かい雰囲気があります。まだ、お会いしたことのない皆さんのためにも祈っています。苦しい中ですが、心に平安が