

とどまる恵み
2021年6月20日 メッセージ要約 ヨハネの手紙第1 4章13~16節 *1 今日の箇所はヨハネの福音書15章の「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。」のメッセージを思い出します。今日の第Ⅰヨハネ4章の13~16節の短い箇所に「とどまる」というおことばが7回出てきます。一方ヨハネの福音書15章には1~11節の中に11回出てきます。 そして11回とも同じことを言っています。イエス様にとどまりなさい。そうすれば、イエス様も私の内にとどまってくださる、です。 第Ⅰヨハネの4章も同じです。「神はその人のうちにとどまり、その人も神の内にとどまる」です。 とどまるとは「その場所にいる、止まる、滞在する、宿泊する、中止になる、心や耳に残る、関心をもつ」等の意味があります。言い換えれば、「動かない」と言うことでしょうか。 神が私たちの内で動かない、一方、私たちが神の内に動かない。 どういうことでしょうか? ユダヤ人の精神科医であった、ヴィクトール・フランクルという人がいました。フランクルは大変早熟なこどもで、4歳で「生きる意味」を考え始めたと言われていま


神は愛だからです
2021年6月13日 メッセージ要約 ヨハネの手紙第1 4章7~12節 *1 ヨハネの手紙第Ⅰが記された頃、ローマ帝国のキリスト教弾圧は激しさを増していきます。ヨハネはパトモス島に流刑となり、そこで黙示録を書きます。ヨハネの手紙を書いた約5~10年後です。さらに、グノーシス主義が教会を荒らし多くの人が教会を去ります。そのような中、迫害で家族が捕らえられ、あるいは、社会の片隅に追いやれ、クリスチャンにとってその現実は非常に厳しいものがありました。 私たちも、家族に救いを伝え、友人、知人に伝えながらも理解されなかったり、変わっていると言われたりこの社会は私たちにとって生きやすい場所ではありません。それでも変えられない厳しい現実を生き抜いています。 そのような、西暦80年時代のクリスチャンと私たちにヨハネは、一番大切なメッセージを届けます。それは2つです。 ① 「神は愛だからです」 ② 「私たちは互いに愛し合いましょう」です。 でも、でも、と当時のクリスチャンも私たちも思います。 「神が愛」ならば、どうしてこんなひどいことが起こるのか? こんな過酷な


イエス・キリストを告白する霊
2021年6月6日 ヨハネの手紙第1 4章1~6節 *1 先週、ある方が教会に来られました。5月の4日にお父様が召天されて、その方は無宗教ですが、月命日でお祈りを捧げたいとのことでした。天に帰られたお父様を慕い教会を訪ねて来られました。そして、聖書を開いて天国の事をお話しすると「安心しました。」と言われました。 「安心する」材料はたくさんあります。食べ物がある、住む家がある、仕事がある、治安が良い日本にいる、等々。しかし、目に見えない天国のことを聞いただけで安心します。何故でしょうか? マタイの福音書6章25節~34節(*2)を読んでみましょう。ここでは目に見える物と目に見えない物が対比されています。食べ物、飲み物、着る物、は目に見える物。そして、自分のいのち、神、天の父は目には見えません。 今日のメッセージはイエス・キリストを告白する口、でもなければ、声でもありません。「霊」です。 天国の話を聞いた方が安定したのはどこでしょうか?「血圧」でしょうか「血糖値」でしょうか。それとも、「感情」でしょうか。「心」でしょうか。 この方が安定したのは「霊