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「神の栄光をほめたたえる」必要


「・・・神の栄光をほめたたえるためです。」エペソ1:12 今朝、大きなニュースが2つ入りました。ひとつは夏の高校野球の中止、もう一つは黒川検事長の辞意です。高校野球の中止は何とも言葉が出ません。もう一つの検事長辞意のニュースにも言葉が出ません。疲れがピークにきているのに、さらに疲れを増すニュースです。甲子園という目標に全てをかけて全力で生きてきた球児と国民をごまかそうとする政治の失態。2つとも共通していることは私たちの目にさらされていないことです。寒い冬も暑い夏も走り込み、ノック、筋トレ、つまらない単純な練習が続きます。ある時はチーム内でもめごとがありながらも、それを乗り越えていきます。その球児たちの苦労は私たちの目には隠されています。また、決めつけてはいけませんが、麻雀に依存していたと思われる検事。これも、私たちの目には隠されています。しかし、明らかなことは神様の目には映し出されていることです。そして、必ず私たちの目にも明らかになります。私たちが陰で何をしているか、何を語っているか神様の目には明らかです。良いことも、悪いことも。こころのスイッチを「神の栄光をほめたたえる」ことに入れる時、聖霊様が私たちのこころを丁度良い、安定した心に導いてくださいます。良いことにはたくさん心に入れて、神様が悲しむことは心になるべく入れないようにしましょう。せっかく築いてきたものが一瞬で崩れます。しかし、隠れた良いことは必ず報われていきます。皆さんが守られますようにお祈りしています。

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