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飼葉おけのクリスマス


2022年12月11日 メッセージ要約

へブル人への手紙2章14~18節 *1

今日は、飼葉おけに寝ておられるイエス様の優しい寝顔を思いながらお話しいたします。飼葉おけとは、牛や馬が食べるエサ(わら)を入れる入れ物です。イエス様は誕生されて間もなく、飼葉おけに寝かされました。今朝は人形劇がありますから、簡潔に、けれども、大変重要な個所ですから集中していきたいと思います。

  

イエス様が、創造主である神がどうして飼葉おけに寝かされたのか、その意味は大変重大です。このことをへブル書が記しています。へブル書2章は生ける神が「人」となってくださって私たちと「人」としての経験を共有してくださったことが主題として書かれています。


その第1の目的は私の、そして皆さんの罪の贖いです。十字架を全うするために、その最初のスタートが飼葉おけでした。17節


そして、2つ目の目的は18節。自ら試みを受けるためでした。その目的は「試みられている者たちを助ける」ためです。イエス様が飼葉おけに寝かされたからこそ、疲れや、重荷を負っている私たち、人の苦しみを理解することがおできになります。マタイの福音書11章28~30節にはこう記されています。お読みします。ここでとても大切な言葉があります。それは、「くびき」です。30節「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」とあります。「くびき」とは、畑を耕す牛につけた木の道具です。2頭かそれ以上の牛を繋いで一緒に労力を分かち持たせるものです。同じ、くびきに繋がれた牛は一緒に重荷を負い合います。イエス様が飼葉おけに寝かされたのは、私たちと同じように人生の重荷を味わい知るだけではなく、私たちの苦しみ、貧しさ、辱め、罪の重荷、孤独、恥、弱さ、病、諸々私たちが担うべき苦しみを同じくびきを負うために飼葉おけに寝かされました。しかし、イエス様のくびきは祝福に満ちたくびきです。


コロナ禍に入り3年目のクリスマスを迎えました。昨年は、コンサートを中止しました。そして、「マリア」の映画を見ました。今年は、とても素晴らしい人形劇があります。出演された人も、そうでない人も、皆でイエス様のお誕生を喜ぶための人形劇です。楽しみにしてください。


私は思います。教会は素晴らしい場所です。イエス様が臨在されていて、そのイエス様が飼葉おけに寝かされた事実。先週は博士、その前はマリヤ、祈祷会ではヨセフ、さらにイザヤ書からイエス様の預言を見ました。共通していることは何でしょうか?それは、「苦しみ」と「大きな喜び」がセットになっていることです。


ヘンリーナウエン著の「今、ここに生きる」の苦しみの項にこんな文があります。


「私たちの世界は、喜びと悲しみをはっきりと区別します。喜んでいる時に悲しむことはできないし、悲しんでいるときには喜べないと思いがちです。実際、現代の社会は、悲しみと喜びを切り離すために全力を注いできました。悲しみや痛みはどんな代価を払っても遠ざけなければなりません。それらは、わたしたちが求める喜びや幸せと相いれないものだと考えるからです。死、病い、孤独、理解されない寂しさ、その他のさまざまな人間の悲しい現実は、見えないところにすべて隠さねばなりません。それらは私たちが一生懸命に追い求めている幸せを遠ざけ、人生のゴールに到達することを妨害するものです。

世界のこうした見解に対し、イエスはそれとはきわめて対照的な見解を示します。イエスはその教えと生き方によって、真の喜びは悲しみのただ中に隠されていることが多く、そして、人生の喜びは、深い嘆きの中にあることを教えてくれます。」と。


私たちのために飼葉おけで休まれるイエス様、飼葉おけですが、温かな人の愛があり、喜びがあり、何よりも神様の恵みが満ちあふれた馬小屋です。


飼葉おけは「死の恐怖」から私たちを解放してくださいました。さらに、イエス様が私たちと同じくびきを担ってくださり、試みられている人たちを助けてくださるお方です。


飼葉桶に寝かされたイエス様に心一杯感謝いたしましょう。


*1 へブル人への手紙2章14~18節

2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、

2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。

2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。

2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。

2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。


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