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遅れることのない神様



2021年11月7日 メッセージ要約


「遅れることのない神様」

ハバクク書2章1~20節  *1


ヨナから約170年後、南ユダに「預言者ハバクク」が登場します。ハバククはヨシヤ王の戦死さらに、バビロン捕囚、ユダの陥落、エルサレムの破壊を経験します。ハバククは神に祈ります。なぜ、悪人が罰せられないのか?なぜ、正しい神は悪が存在するのを赦すのか?と。神は「一つのことをあなたがたの時代にする」と語ります。イエス様の話をじっと聞くマリヤのように、苦しみの中ハバククは神様に集中して祈ります。これが1章です。

 2章に入り、ハバククは物見やぐらに立ち、主が何を語られるかをじっと聞きます。物見やぐらとは敵との戦いの中、敵が責めて来ないか、じっと見張るものです。遠くを見渡すことができる櫓です。ハバククはそのような気持ちで1章の祈りの結果を待ちます。まるで、物見やぐらで敵が来るかどうかを見張っている一人の兵士のように神様の回答を待ちます。そのように真実なハバククに神様は答えます。

「この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽ってはいない。もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。」と。神様は真実であり、預言は必ず成就する。その時が遅れることはない。と。その時を落ち着いて、信じて待つことができる人を、「信仰によって生きる人」と4節でハバククは自分自身を納得さるかのように表現します。以前の訳では義人は信仰によって生きる、です。


 私たちは神様を信じ、やがてイエス様が再臨されるその時を信じています。しかし、十字架、復活から2000年が経過しています。その他にも、家族、友人、知人が救われる日をひたすら信じ、みことばを握り信じています。けれども実際は多くの悩みと失望の中を歩ませられることがあります。しかし神様は決して遅れることはありません。これをどのように考えれば良いでしょうか。


 遅れる遅れない、を考えるとき、それは「時」を意識します。待ち合わせの時間、あるいは仕事が始まる時間の時です。


時には2つの意味があります。一つは、一定の時間、季節、時期です。上田教会の礼拝時間は10時30分からです。この時は、私たちがこの時間、何をしていても変わらない普遍的な時間です。

もう一つの時は、最適な時、あるいは潮時と言われる時です。それは、「神様によって定められた時」です。日曜日の10時30分~はいつも通りの礼拝の時間です。しかし、ある方にとっては今日の礼拝がいつもと違う、神様と出会う礼拝であるかもしれません。あるいは神様が定めてくださった特別な時であるかもしれません。つまり、神様は私たち1人、1人のために特別な時を準備してくださっています。皆さんにとっても、また、私自身にとっても特別な時があります。その時は必ず来る。遅れることはないと神様は語られます。


ハバククはヨシヤ王の戦死さらに、バビロン捕囚、ユダの陥落、エルサレムの破壊を経験します。このように立ち上がってもまた、試練に遭い、立ち上がってもまた試練が追いかけてくる。息をつく暇がないほどに試練が連続してくる中で、神様の時は必ず来る、遅れることはないと、ハバククは信じます。


 最近のニュースで、ヨーロッパでコロナウィルス感染者が増加していることを聞きます。日本もまた、1月に感染者が増えるのではないかと懸念されています。神様の時はどうなっているのでしょうか。大幅に遅れているのではないでしょうか。でも、神様の時は遅れることはありません。神様には神様のお考えがあります。


 ハバククの時代にイスラエルを苦しめていたバビロンの人たちは、己の武力と勢いのある自分自身を信じます。しかし、イスラエルの人たちが信じているのは自分ではありません。苦しめられても、苦しめられても神を信じます。そして、神の「時」があり、それは遅れているように見えても、実は遅れていない「神の時」です。私たちも神様は遅れることのないお方であることを信じたいと思います。それによって信仰が成長していきます。一つのお話をして終わります。私たちがこの世の生涯を終えて天に帰った時に、住所不明という自分宛ての荷物を見ます。私たちは一生懸命に神様に祈り、あるいは願います。しかし、実は天国からの荷物を受け取らずにいる場合が多くあります。祈るけれども、それはきっとかなわない、本当には起こらない、あるいは神様の再臨なんてない、きっと、今日も明日も何も変わらないと思って信仰生活を送ることがあります。これが、神様の時が届かない住所不明の小包です。これを天国で私たちは見ます。


4節には、こう記されています。「正しい人は信仰によって生きる。」と。つまり、神様は決して遅れることがないと信じるとき、そして、信仰を働かせるとき、私たちは神様の時を実感します。


*1 ハバク書 2章1~20節

2:1 私は、見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう。

2:2 【主】は私に答えて言われた。幻を板の上に書いて確認せよ。これを読む者が急使として走るために。

2:3 この幻は、定めの時について証言しており、終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。

2:4 見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。

2:5 実にぶどう酒は欺くものだ。高ぶる者は定まりがない。彼はよみのようにのどを広げ、死のように、足ることを知らない。彼はすべての国々を自分のもとに集め、すべての国々の民を自分のもとにかき集める。

2:6 これらはみな、彼についてあざけりの声をあげ、彼を皮肉り、風刺してこう言わないだろうか。「ああ。自分のものでないものを増し加える者。──いつまでだろうか──その上に担保を重くする者。」

2:7 あなたをかむ者が突然起き上がり、あなたを揺り動かす者が目ざめないだろうか。あなたは彼らに奪い取られる。

2:8 あなたが多くの国々を略奪したので、ほかのすべての国々の民が、あなたを略奪する。あなたが人の血を流し、国や町や、そのすべての住民に暴力をふるったためだ。

2:9 わざわいだ。自分の家のために不正な利得をむさぼり、わざわいの手からのがれるために、自分の巣を高い所に据える者。

2:10 あなたは自分の家のために恥ずべきことを計り、多くの国々の民を滅ぼした。あなたのたましいは罪を犯した。

2:11 まことに、石は石垣から叫び、梁は家からこれに答える。

2:12 わざわいだ。血で町を建て、不正で都を築き上げる者。

2:13 これは、万軍の【主】によるのではないか。国々の民は、ただ火で焼かれるために労し、諸国の民は、むなしく疲れ果てる。

2:14 まことに、水が海をおおうように、地は、【主】の栄光を知ることで満たされる。

2:15 わざわいだ。自分の友に飲ませ、毒を混ぜて酔わせ、その裸を見ようとする者。

2:16 あなたは栄光よりも恥で満ち足りている。あなたも飲んで、陽の皮を見せよ。【主】の右の手の杯は、あなたの上に巡って来て、恥があなたの栄光をおおう。

2:17 レバノンへの暴虐があなたをおおい、獣への残虐があなたを脅かす。あなたが人の血を流し、国や町や、そのすべての住民に暴力をふるったためだ。

2:18 彫刻師の刻んだ彫像や鋳像、偽りを教える者が、何の役に立とう。物言わぬ偽りの神々を造って、これを造った者が、それにたよったところで、何の役に立とう。

2:19 わざわいだ。木に向かって目をさませと言い、黙っている石に向かって起きろと言う者よ。それは像だ。それは金や銀をかぶせたもの。その中には何の息もない。

2:20 しかし【主】は、その聖なる宮におられる。全地よ。その御前に静まれ。



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