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神さまの憐れみ②


2022年5月15日 メッセージ要約

創世記20章1~18 *1

 アブラハムは一族を連れて放牧しながらいくつかの町に住みました。一時期カナン南部にあるペリシテ人の町ゲラルに滞在します。その時の出来事です。これと同じ記事は創世記12章のエジプトにもありました。ペリシテ人の信仰とアブラハムが信じていた父なる神の文化は全く異質です。ペリシテ人は好戦的な民族でした。アブラハムはペリシテ人を恐れます。


アブラハムは創世記12章と全く同じ行動をとります。ペリシテの文化にも美しい妻の夫は殺されて妻が高官に略奪されるということが頻繁に行われていました。


しかし、創世記12章の時と違うのは、アブラハムは信仰生活を長く続けてきました。13章では5人の王たちからわずか318人でロトとその家族を救います。15章では神様の犠牲的な契約の預言があり、16章ではイシュマエルの誕生そして、17章ではアブラムからアブラハムへ改名、18章ではイサク誕生の預言、ロト救出のとりなしの祈り・・こんなにたくさんの神様の恵みをいただいています・・・。さらに、創世記18章14節で「来年の今頃・・」と神様からイサク誕生の預言の明確な日時が示されています。それにも拘わらず、サラを危険な目に遭わせてしまいました。これで、2回目です。


この現象は信仰の父と言われていたアブラハムだけではなく、実は私たちにも深刻な信仰の問題として露呈しています。アブラハムの心には「恐れ」が潜在化していました。どんな「恐れ」でしょうか?サラを犠牲にしなければ自分は殺される・・という恐れです。


列王記第Ⅱ5章にナアマン将軍の話が出てきます。ナアマン将軍はツァラアトという病に苦しんでいました。エリシャが治してくれることを聴き訪ねます。エリシャはナアマンに言いました。「ヨルダン川へ行って7回あなたの身を洗いなさい。・・」と。しかし、ナアマンは激怒します。ナアマンはこう思ったからです。エリシャが出て来て、患部に手を当てて「神様どうぞ癒してください」と祈りが治してくれると思ったのです。しかし、・・「川へ行き身を洗いなさい」と言って戸を閉めてしまいました。あまりにも不遜な態度に理解ができませんでした。しかし、その時、賢いしもべが言います。「あの預言者が難しいことを言ったなら、あなたはどんなことをしてもそれを実行したでしょう。しかし、『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか?」と。あまりにも簡単すぎて、ナアマンは信じることができませんでした。賢いしもべの忠告でナアマンはヨルダン川に7回身を浸します。すると病は癒されました。


「恐れからの解放」という本にこんな文章があります。

信じるには訓練が必要です。私たちは少しずつ生涯にわたって身につけてきた、見えるところ、感じることのできるところのみを信じるという習慣があります。少し考えてみれば、私たちの目に見えることで感じることのできるものが、真実と正反対であることに気がつきます。皆さんがいる部屋は静止しているでしょうか?それとも運動しているでしょうか?地球は運動しているでしょうか?それとも静止しているでしょうか?真理はあなたが座っている場所は、時速何千マイルというスピードで宇宙空間を旋回しているのです。私たちが見えるところ、感じるところは頼りになりません。


感情が信仰を支配してはいけません。私はこの真理の別の側面を知らなかったのです。それは「信仰が感情を支配すべきである」というものです。私がこの原則を実践することを学んだとき、私の古い感情のうちの多くのものは変えられました。確かにそれは、簡単なことではありませんでした。古い習慣というものはなかなかなくならないものだからです。・・・・


恐れは「感情」です。もしかしたら、殺されるかもしれないとの「感情」は信仰によって小さくなっていきます。私たちが出来ることはただ「信じる」ことだけです。目の前の状況が良くならなくても、「神様が成してくださる」と信じるとき、「感情は信仰に支配されます」聖書のおことばが恐れを平安にかえてくれます。


②20章14節~18節を見ますと、神様はアブラハムの恐れからの不信に対しても恵みをくださるお方です。

神様の恵みを表す一つの例話です。

ある家族が飛行機に乗って外国旅行に出かけようとしました。お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、小さな妹の5人家族です。フライトの時間が迫ったその時、小さな妹が泣き出します。「私のお人形がない。」と。その人形は小さな妹が大切に大切にいつも持っていた小汚い人形でした。お父さんには何の価値もない小汚い人形です。お父さんは決断します。「もう、間に合わない。飛行機をキャンセルして人形を捜そう」と。家族、皆で手分けして人形を捜すと、妹の荷物の奥にありました。そして、奇跡的に飛行機に乗ることができました。お父さんは知っていました。お父さんにとっては何の価値もない人形ですが、小さな妹にとっては大切な大切な人形であることを・・・

神様にとっては、アブラハムの恐れ、不信仰は汚く全く価値のないものです。しかし、神様はアブラハムを愛しておられました。神様は取るに足りない私たちをこよなく愛されます。そして、私たちが、どんなに弱くても愛してくださるお方です。


私たちが真実でなくてもキリストは常に真実である。ご自分を否むことができなかったからである。テモテへの手紙第Ⅱ2章13節


私たちは「恐れ」にとどまっていてはいけません。信仰によって「恐れ」に打ち勝つことができます。本気で信じていきましょう。




*1 創世記20章1~18節

20:1 アブラハムは、そこからネゲブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住みついた。ゲラルに滞在中、

20:2 アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。

20:3 ところが、神は、夜、夢の中で、アビメレクのところに来られ、そして仰せられた。「あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。」

20:4 アビメレクはまだ、彼女に近づいていなかったので、こう言った。「主よ。あなたは正しい国民をも殺されるのですか。

20:5 彼は私に、『これは私の妹だ』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」

20:6 神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。

20:7 今、あの人の妻を返していのちを得なさい。あの人は預言者であって、あなたのために祈ってくれよう。しかし、あなたが返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことをわきまえなさい。」

20:8 翌朝早く、アビメレクは彼のしもべを全部呼び寄せ、これらのことをみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。

20:9 それから、アビメレクはアブラハムを呼び寄せて言った。「あなたは何ということを、してくれたのか。あなたが私と私の王国とに、こんな大きな罪をもたらすとは、いったい私がどんな罪をあなたに犯したのか。あなたはしてはならないことを、私にしたのだ。」

20:10 また、アビメレクはアブラハムに言った。「あなたはどういうつもりで、こんなことをしたのか。」

20:11 アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに、私を殺すと思ったからです。

20:12 また、ほんとうに、あれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。

20:13 神が私を父の家からさすらいの旅に出されたとき、私は彼女に、『こうして、あなたの愛を私のために尽くしておくれ。私たちが行くどこででも、私のことを、この人は私の兄です、と言っておくれ』と頼んだのです。」

20:14 そこで、アビメレクは、羊の群れと牛の群れと男女の奴隷たちを取って来て、アブラハムに与え、またアブラハムの妻サラを彼に返した。

20:15 そして、アビメレクは言った。「見よ。私の領地があなたの前に広がっている。あなたの良いと思う所に住みなさい。」

20:16 彼はまたサラに言った。「ここに、銀千枚をあなたの兄に与える。きっと、これはあなたといっしょにいるすべての人の前で、あなたを守るものとなろう。これですべて、正しいとされよう。」

20:17 そこで、アブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻、および、はしためたちをいやされたので、彼らはまた子を産むようになった。

20:18 【主】が、アブラハムの妻、サラのゆえに、アビメレクの家のすべての胎を堅く閉じておられたからである。


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