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匱さを誇る


幎月16日 メッセヌゞ芁玄

 コリント人ぞの手玙Ⅱ 12ç« 710章 

「匱さを誇る」

むヌスタヌを恵みの内に超えさせおいただきたした。珟䌚堂での瀌拝は今日を含めお回です。来週は川村和臣先生をお招きしおの特別瀌拝ずサンポヌ䌝道䌚を行いたす。お祈り臎したしょう。

 

 コリント人ぞの手玙第Ⅱは神様の慰めが匷調されおいたす。しかし、10章から12ç« 13節たでパりロに反察する人たちのパりロの匁明が蚘されおいたす。この䞭にはパりロの玠晎らしい経歎ず困難、信仰の姿勢が蚘されおいたす。


12章に入り䞍思議な神にあっお䞍思議な経隓をしたこずが蚘されおいたす。そしお、この個所には「誇る」ずいうこずばが沢山出おきたす。5,6,9,です。䜕を誇っおいるでしょうか


5節「パラダむスに匕き䞊げられた人のこず」「匱さを誇る」

6節「自分が誇るこずに぀いお」

9節「自分の匱さを誇る」


「誇り」ずは自分に関する物事に぀いお名誉に感じる気持ち。もしくは、優れおいるず感じお自慢げにしおいる様子・・です。

よく、皆さんのお家に招かれおいきたすず、立掟な賞状がありたす。それは、名誉であり、賜物です。しかし、パりロは「匱さを誇る」぀たり、「匱さが名誉」だず蚀っおいたす。匱さずは、䞍安や傷぀きやすさ、もろさ、ズルさ、臆病、怠惰などの“できれば盎芖したくない面”のこずです。぀たり、人前に出すこずを躊躇するものです。パりロには身䜓的なずげがありたした。具䜓的なこずは蚘されおいたせんが、「床、去らせおください」ず祈っおいたすから、盞圓参っおいたのではないでしょうか


「しかし、䞻はそれでいい。わたしの恵みはあなたに十分だ」ずおっしゃいたす。皆さんはこれさえなければ・・わたしは幞せなのに・・ず思うこずがありたすか問題・課題・身䜓的な悩み、人間関係・等々。これさえなければ・・。


牧垫ずしお皆さんのそのようなお話を䌺う機䌚が倚くありたす。最近は牧垫間でも「○○さえなければ・・」ずいう声を倚く聞きたす。倧倉な時代に入っおいるず感じたす。


私はこれさえなければ・・ずいうこれに沢山のものが入りたす。


あるずにキャンでの出来事です。若いボランティアの人たちに、キャンプディレクタヌが「明日たでにゲヌムで䜿うボヌルを1,000個䜜っお欲しい」ずお願いしおいる堎面に遭遇したした。明日たでに1000個です。そしお、それをお願いした時間は倕方であったず思いたす。私はその倜ぐっすり寝おしたいたしたが、圌らは1000個ボヌルを䜜りたした。そしお、そのこずの蚌しの䞭に「私たちは取るに足りないしもべです。なすべきこずをしただけです」ずありたした。


私は、䜕か違和感を芚えたした。ほずんど寝ずに䜜業したのに、もっず拍手されおもいいのではないだろうかず。思いたした。


たた、ある牧垫が数幎前に「私は自分の匱さを誇りたす」ずいう蚌しをされたした。ずおも立掟な牧垫で、私はちょっず違和感を感じたした。過小評䟡しおいるのではないだろうか


そしお、パりロも「自分の匱さを誇る」ず蚀っおいたす。玠晎らしい経隓をしおいるのにも関わらずです。「匱さは名誉」だず蚀いたす。


「匱さは名誉である」その理由は節です。「わたしの力は匱さのうちに完党に珟れるからである。」ずの䞻のおこずばです。匱さは、衚に出すものではありたせん。たしお、人前には出せたせん。できれば人目に぀かないように隠しおおきたいものです。しかし、その䞭に神様の力が完党に珟れるず蚀っおいたす。

私もようやく、「匱さ」に盎面したした。それたでは自分の力で出来おいたした。宇郜宮でも、神孊院でも、よく「傲慢にならないようにね」「傲慢に泚意しなさい」ず蚀われたした。自分の頑匵りが正圓に評䟡されおいない、あるいは評䟡しおはいけないずいう違和感を心の奥深くで感じおいたした。


でも、最近、はっきりしたこずは匱さの䞭に働く神様の力です。自分の力で䜕ずかなる、ず思う時は神様を求めたせん。で求めなくおもある皋床のこずができるからです。


しかし、ようやく「神様」ず叫ぶこずが倚くなりたした。自分の努力や工倫ではどうにもならない。いや、华っおおかしくなっおしたうのです。


叫ぶしかないずきこそ、神様の出番です。匱さの䞭に神様の完党な力が珟れる。「完党に珟れる」のです。今日はこのこずだけ芚えおください。


皆さんが䜕幎もたたかっおおられる問題がありたすか苊しんでいるこずがありたすかこれはどうしようもないず思っおいる出来事がありたすか神様がその䞭にわたしの力が完党に珟れる。ず


國光ひろ子先生が末期の癌でもうこれ以䞊薬がないず蚀われたそうです。しかし、祈っお、祈っお倚くの人に祈っおいただいお、さらに、聖曞の䞭での癒しの蚘事ばかりを読んでいた。するず党く癒された、そうです。


私たちは病気で食事が䜜れない時。お母さんが飛んできお食事を䜜っお䞋さるでしょう。匱いなら食事は食べられない。でも、匱くおもお母さんが䜜っおくだされば、私たちは食事ができたす。


叫ぶしかない時。叫びたしょう。信じお叫びたしょう。神様の埡業はすぐそこにありたす。


 コリント人ぞの手玙Ⅱ 12ç« 710ç« 

12:7 たた、その啓瀺があたりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶるこずのないようにず、肉䜓に䞀぀のずげを䞎えられたした。それは私が高ぶるこずのないように、私を打぀ための、サタンの䜿いです。

12:8 このこずに぀いおは、これを私から去らせおくださるようにず、䞉床も䞻に願いたした。

12:9 しかし、䞻は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。ずいうのは、わたしの力は、匱さのうちに完党に珟れるからである」ず蚀われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ倧いに喜んで私の匱さを誇りたしょう。

12:10 ですから、私は、キリストのために、匱さ、䟮蟱、苊痛、迫害、困難に甘んじおいたす。なぜなら、私が匱いずきにこそ、私は匷いからです。

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