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信じることで働く神の力 2

2021年1月17日

マルコの福音書 5 章 35 43 節


今朝は、先週と同じメッセージ題です。先週は、私たちが、恐れずに信じるとはどのようなことかを 2 つ、心に留めました。

1つ目は、不可能と思える場所に、「確信を持って」進まれる、イエス様について行く、です。簡単に言いますと、信じることを続けていくことです。

2つ目は、不可能と思えることを可能とする、イエスさまのことばをあざ笑うことなく、取り乱さず、落ち着いて信じることです。

その結果は「タリタ、クム、少女よ。あなたに言う。起きなさい。」です。ここまで来ることができたのは、ヤイロと奥さん、ペテロ、ヤコブ、ヨハネだけでした。イエス様をあざけった人は、外に出されてしまいました。私たちはコロナ禍の中ですが、イエス様について行く、慌てずに、落ち着いて、しかも、あざけらずに、信じていくことを確認しました。

マルコ5 章の記事はヤイロの話です。 今朝は、 神様は、具体的に私たちに何をしてくださるのかを、少し深めて、聖書から見て行きたいと思います。信仰といえば、へブル書 11,12 章です。「さて、信仰は望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」へブル 11 1 ~信仰について書かれています。

信仰とは、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させる、とあります。ワクワクしてきます。皆さんの望みは何ですか?それが保証されています。が・・・しかし、・・願ったことはかなったでしょうか。皆さんの望みは手に入りましたか。

へブル書 11 39 にはこのように記されています。「これらの人たちはみな、その信仰によって称賛されましたが、約束されたものを手に入れることはありませんでした。」とあります。約束のものは手に入らなかったと・・。


「応えられた祈り 」という詩があります。

功績を立てようと、神に力 を祈り求めたのに

謙遜に服従するようにと、弱さを与えられた

より大きなことをしようと、健康を祈り求めたのに

より良いことをするようにと、病気を与えられた

幸福になるようにと、富を祈り求めたのに

賢くなるようにと、貧しさを与えられた

人々の称賛を得ようと、権力を祈り求めたのに

神の必要を感じるようにと弱さを与えられた

人生を楽しもうと、あらゆるものを祈り求めたのに

あらゆるものを楽しむようにと、人生を与えられた

祈り求めたものは何一つ与えられなかったのに

実は私が望んでいたすべて のものが与えられた

このような私にもかかわらず、私の言葉にならない祈りは応えられ

すべての人にまさって、私は最も豊かな祝福を与えられたのだ


考えさせられます。神様は私たちに最善のものをいつも下さいます。しかし、それは私たちが願っている物とは違う場合が多いのです。

へブル書11 章 40 節にはこう記されています。「神は私たちのために、もっとすぐれたものを用意しておられたので・・・」と。

黙示録6 章 11 節にはこう記されています。「すると、彼ら一人、ひとりに白い衣が与えられた。・・・」と。

黙示録7 章 9 節「・・ すべての国民、 部族、民族、言語から、だれも数えきれないほど

の大勢の群衆が御座の前と小羊の前に立ち、白い衣を身にまとい・・」

白い衣は、イエス様を信じ抜いて、与えられる勝利のT シャツのようなものです。もし、望がかなっていないのならば、もう少し、イエス様を信じましょう。天国では必ず白い衣が準備されています。


お祈り致します。

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