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世に勝つ信仰


2021年7月18日メッセージ要約

ヨハネの手紙Ⅰ 5章1-5節  *1


世とは何でしょうか。イエス様を計算に入れてない世界のことを「世」と言います。世は、聖書の事を教えません。どのようにすれば経済的に豊かになるか、あるいは、成功するかを教えます。しかし、聖書は教えません。つまり、聖書、イエス様を計算に入れない世界を「世」と言います。復習になりますが、2章16節には、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は世から出るとあります。



「大切なきみ」という絵本には、パンチネロという不器用で気の弱いい主人公が出てきます。

パンチネロの住む町では、勝者には金色を敗者には鼠色のシールを張りまし。鼠色の汚いシールばかりを貼られ自信を失っていくパンチネロ。涙や汗を流し続けても強くも美しくもなれず、頑張っても頑張っても評価されず笑われ傷付けられる日々。そんなある日、金色のシールも鼠色のシールも張っていない女の子ルーシーに出会います。その子は言います。造り主の「エリ」のところに行くといいと教えてくれます。


「エリ」は鼠色だらけのパンチネロを見てこう言います。「ずいぶん、鼠色のシールを張られたね。いつもわたしのところにおいで」と。「エリ」のところに通いだしたパンチネロはいつの間にか、鼠色のシールがはがれていくのを感じます。「エリ」はそのままのパンチネロを受け入れ、愛します。パンチネロは自分を取り戻していきます。私たちは神様無しの世界では、どのくらいシールが貼られているかで人の価値を判断します。


さらに、神様は愛のない世にあって、私たちに人々を愛することを要求します。その命令は私たちに重荷を与え、さらに困難を感じさせます。私たちも世にあって鼠色のシールを張り付けられさらに、クリスチャンとして生きることを要求されます。これはとても、私たちには重い荷物になります。


世に勝つとはどういうことでしょうか。英語の聖書には

                  overcome

とあります。意味は打ち勝つ、乗り越える、克服する、です。愛のない世にあって、愛のある者となることが世に打ち勝つことです。


そのために3つの事が必要です。

自分の中にそのような愛は存在しないことを知ること

② そのことを自分の問題として悩むこと・葛藤すること

③ 神様の傍にいつも行くこと。愛をいただくために。


① ~③だけを考えてください。そして祈りましょう。それでも

相手が心を開かない時、あるいは、自分が愛することが出来ない時、それは神様の領域になります。神様の領域に入ってはいけません。ただ委ねるだけです。

さらに、

④ 自分なりに愛の定義を考えてください。

私の場合。

どんなに相手が嫌いであっても、その人の人格、ペース、考えていること、信仰等を否定しないこと。或いは尊重すること。受け止めることを自分なりの愛の定義としています。

さらに、その人のために「神様、憐れんでください。私もその人も」と祈れば、後は神様が介入してくださいます。それ以上は考えない。


そして、神様がどのようにしてくださるか、それを楽しみに待つことです。

決して、決して一人でovercomeしないことです。とても危険です。

ひどい時は信仰が分からなくなります。自分の力では限界が来、やがて、信仰することがつらくなってきます。そして、無意識に世を超えることが出来ない現実の自分と、世を超えているように見せている教会の顔と2つの顔をもつクリスチャンとなります。今まで、熱心だったクリスチャンが、何らかの理由で教会に来ることができなくなる事象が起こったとき、ぱたりと信仰を辞めてしまうのはこのパターンが多いのではないでしょうか。全てでありませんが・・。信仰することに疲れてしまう場合です。燃え尽き症候群です。

世を超えるために必要なことは、理想のクリスチャン像を掲げることなく、ありのままの出来ない自分を認めることです。そして、神様に「憐れんでください」と叫び求めるとき、神様が超えさせてくださったという神経験をします。この神経験を1度すると、次も、また、神経験が起こります。すると、ありのままの弱い姿でも神様の恵みが与えられます。他人からみるならば、とても、立派に見えますが、この種類のクリスチャンの多くの人は自分が立派だという自覚はほとんどありません。もちろん全てではありませんが・・・ありのままの楽な姿なのです。この時点まで来れば、信仰を辞めたくても辞められなくなります。いや、信仰無し、教会無しではやっていけないクリスチャンに変えられていきます。


 どうぞ、正直であってください。立派なクリスチャンになる必要はありません。むしろ、弱さをさらけ出し、ありのまま、神様の前に出ましょう。いつの間にか世をovercomeしています。


結論「世に勝つ信仰とは、自分の弱さをありのまま認め、神様の前にさらけ出し、その結果神様から愛をいただき、世を超えていくこと事が出来る信仰です」「強く立派なクリスチャンではなく、弱くありのままのクリスチャンです」

「世に勝つものとはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか」Ⅰヨハネ5章5節



*1 ヨハネの手紙Ⅰ 5章1―5節

5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。

5:2 私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。

5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。

5:4 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。

5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。

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