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バトンを受け継いで・・


2021年10月17日 メッセージ要約


へブル人への手紙12章1~3節  *1


教団は76回目の創立記念日、上田教会は59回目の創立記念日です。

1945年10月太平洋戦争終結からわずか2カ月後、創設者の蔦田二雄先生と二人の協力者による徹夜の祈りの中、蔦田二雄先生に与えられたビジョンのうちに「インマヌエル綜合伝道団」は誕生しました。

 上田教会は1962年(昭和37年)上田市出身の丸の内教会(現中目黒教会)の1人の女性の方の帰郷を機に女子神学生がアパートを借りて夏季伝道実習がなされました。10月より初代牧師、故西村喜和師が千曲川のほとりの小さなアパートの6畳間に住み、現在の鷹匠町公会堂で集会を始めました。1963年には故・佐竹静師、64年故・長谷川素子師

65年小沢まつ子師の時に二軒長屋の一軒を借りて引っ越し。畳に座布団の集会が開始。1966年故・長谷川素子師から同じ年に横溝春子師(現・小田春子師)、(横溝道範兄叔母)に引き継がれ、1968年鹿沼伝道所(現宇都宮教会)でご奉仕されていた横山容子師が着任。1968年の6月から年1~2回の高校生特集が10年祝福され実を結び高校生バイブルクラスが始まります。女子高校生が次々と救われて教会が活性化します。1977年(昭和54年)深谷きみゑ師着任。会堂が手狭となり、1979年(昭和54年)9月現在の会堂を新築。銀行融資が不可能とされていた中、故佐藤兄の親戚の方の協力をいただき、融資が可能となりました。総経費4,000万円の戦いが6年で完済。「ただ,信仰の祈りのみ」による不思議な神様の御業でした。(横山師あかし集より)」2013年深谷きみゑ師がすい臓がんの手術をうけられました。2015年2月17日ご召天。2016年10月31日をもって、横山容子師が引退され、古川にバトンが受け継がれました。ここまで、多くの先生方、特に横山先生、深谷先生のご愛労に感謝をささげたいと思います。そして、今、おられる多くの方々は新会堂建築後にお救いに預かり、教会の建て上げのためにご尽力くださいました。また、新しい方々も加えられて前進しております。上田市のこの場所に教会が立ち、歴史が刻まれていることは教会にとっても、私個人にとりましても、また、皆さんお一人お一人も思うところがたくさんおありでしょう。多くの困難、痛みも通過しました。親しい人が教会に来られなくなり、あるいは人間関係で傷つき、あるいは信仰が分からなくなり、大きな試練を通過され、それでもなおイエス様を信じ続けて、教会に建て上げにご尽力されておられる、お一人、お一人のゆえに御名を崇めます。


 皆さんはお正月になると箱根駅伝をご覧になると思います。たすきが渡されて25,㌔ほど走ります。途中で倒れそうになりながらも、命がけでたすきをつなぐ姿には大きな感動を覚えます。そのたすきには、過去に走った人の汗が染みついています。一人の女子神学生と一人の女性から始まった上田教会のたすきには、その後の牧師、教会員の汗が染みついています。つまり、マラソンではなくて駅伝です。再臨が来るまで上田教会は続いていきます。ゴールがいつなのかは分かりませんが、皆さんは一人ではないということです。私もそうです。走り終えた人が私たちを必死に応援しています。(1節)「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから・・」


 駅伝を走るのに、寒いからと厚いコートを着ている人はいません。ランニングシャツだけです。この駅伝は少し長い距離を走ります。ある人は50年、70年という、信仰生活を送られます。重荷という厚いコート、大きなタイヤを引きずっているような、まとわりついている罪、これらは走ることを妨げます。中継所で厚いコートを着て、タイヤをつけた選手を見たことがありますか?ありませんね。ランニングシャツと短パンに「なる」ことが大事です。「なる」です。「なる」とは自分の意志で「なり」ます。私たちは重荷と罪を「捨てる意志」が必要です。つまり「決めてしまう」のです。もう、悩まないあるいは罪とは決別すると。クリスチャン生活がとても楽になります。快適に走ることが出来ます。


 そして、たすきをもらった人は次の人にたすきを渡すために、走り始めます。ゴールを目指して走ります。次の中継所で誰にたすきを渡すのかまだ、見えません。でも、きっと渡す人がいると信じます。そのために直接献身する人が与えられますように祈ってください。 


そして、走るときには後ろを向かず前に向かって走ります。ピリピ人への手紙3章13,14節。「・・ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、・・」「ただひとつのこと」です。生きる目的が2つあるいは3つあるときがあります。私たちの心は分散されて、クリスチャンとして生きているのか、自分の人生を生きているのか、不明慮になります。でも、この聖書という1つの目標だけで生きていく時に、不思議ですが、他の目標もモーラされていきます。ですから、目標を一つにしてください。

その目標は「イエス様を仰いで生きる」です。もっというならば「イエス様のために生きる」です。えっ?家族はどうなりますか?あるいは仕事はどうなりますか、あるいは自己実現はどうなるんですか?という声が聞こえてきます。イエス様のために生きるとは修道院に入ることとは違います。あるいは神学校に行くことでもありません。皆さんは、とても厳しい現実の中におられると思います。皆さんが生活されている周囲の方々が「イエス様」を信じることができるために、全精力を集中することです。家族、友人、知人が救われるために祈り、救われることが出来るように話しかけ、救われることが出来るように接することです。それ以外のことを目標にはしません。「目の前にいるこの人がどうしたら救われるかな・・このことだけを考える」です。これが「ただ一つのこと」です。


 バトンを受け継ぐときに①このバトンは過去の牧師、教会員の汗と涙が浸み込んでいるバトンです。これを意識することです。

②厚いコートと重いタイヤは「捨てることを決めましょう」明日ではなく、今日「決めましょう」軽く走ることが出来ます。③走ることの目的はたった一つです。イエス様のために生きることです。具体的には周囲の人の「救いのために生きる」ことです。それがイエス様から目を離さない条件になります。

皆さんが持っているバトンを次の中継地までつなぎましょう。イエス様の力によって・・ご一緒にお祈りいたしましょう。


*1 へブル人への手紙 12:1-3

12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

12:3 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

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