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私の足のともしびであるみことば


暗い道を歩く時、ともしびがあると、安全です。暗い道に、障害物があると、転倒する恐れがあります。また、危険が迫っていても、暗いと気がつきません。しかし、ともしびがあると安全に、安心して道を歩くことが出来ます。また、道に迷う時、方向を決める時にも、ともしびがあれば、安心です。

テモテの手紙第Ⅱ 3章16節にはともしびであるみことばの説明がなされています。みことばは、「神の霊感によるもので=神の息吹」によって書かれたものです。ペテロの手紙第Ⅱ1章21節には「人間の意志によるものではなく、聖霊に動かされた人たちが語ったもの」と書かれています。イムマヌエル聖書ハンドブックにはこのように記されています。霊感とは「神が人々に息吹を与え、その結果、人が神の真理を受け取り、伝えることが出来るようにされたこと」と記されています。もっと短い言葉で表すならば「感動」です。感動とは、美しいものや、素晴らしいことに接して強い印象を受け、心をうばわれること、です。聖書を読む時に私たちは神の霊によって、心が動かされます。

例えば、ヨハネの福音書20章29節のトマスの記事です。トマスは自分だけが、復活後のイエス様にお会いしていないということが、神様との関係を失い、一方で自分の価値をも見失っていました。しかし、イエス様はトマスを扱い、その結果「私の主、私の神」とトマスは告白します。この記事を私たちが読む時に、相対的な人の価値観(他者は復活後のイエス様にあったが、自分は会えなかったので自分には価値がないと思う)ではなく、他人や外の世界がどうであれ、揺らぐことがない自分の価値を再確認し、神様と私の関係を結びます。また、21章22節の記事にある、ペテロのように人のことが気になったときに、「あなたはわたしに従いなさい」とペテロに語られたことが、私たちの心にも同じように届き、平安が与えられる、または、気持ちの切り替えが出来ます。神の霊感は私たちの生活に感動を与えます。

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