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10月28日 委ねるとは

詩篇37篇1~40節

「委ねるとは」

詩篇37篇には悪を行う者に苦しめられているダビデの姿が見られます。悪を行う人の特徴が沢山記されています。不正を行う人、正しい人に対して敵対して事を謀り、正しい人に対して歯をむき出す人。また、強い殺意をもっているのもその特徴です。

そして、よく読んでみますと、悪しきものと正しい人が対になって表現されています。「悪しきものはいなくなる。正しい人は地を受け継ぐ」と。じっくり読むと大変恵まれます。

委ねるとは、一切を他人に任せることです。先日、小学生が楽しそうに遠足に向かう場面に出会いました。とても、楽しそうです。遠足の日は勉強のことを忘れ、教室のことも忘れて楽しい場所にみんなで行きます。委ねるとはこういうことではないでしょうか。悪しきもののことをすっかり忘れて楽しくなってしまう。そのためにはプレゼントを渡すようにイエス様に重荷を渡すことです。渡したプレゼントのことを、あれこれ考えません。そのようにイエス様にあしき者のことを渡して忘れてしまうことです。けれども、現実には頭にこびりついて長い間、苦しむこともあります。そのような時、37篇を読んで、理性的に考えることと、感情をコントロールすることが大切です。理不尽なことに耐え忍ぶ時、私たちは大きく成長します。そして、悪しき人のために、大切な自分のエネルギーを使いすぎて消耗しないことも大切です。

その一方で、イエス様をただ、ただ、問題・課題を解決するためだけのお方と考えると思わぬ方向に行ってしまいます。私たちは仕事が大変でも、毎日家に帰ります。そして、家でゆっくり休みます。問題があっても、なくても家は私たちの大切な場所です。そのように、問題が解決されても、されなくてもイエス様を愛する時、いつの間にか、大きな問題は少しづつ解決していきます。真の意味で委ねるとはそういうことではないでしょうか。

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