注ぎの油
2021年4月11日
ヨハネの手紙第Ⅰ2章26-29節
注ぎの油とは何でしょうかよく、皆さんが、メッセンジャーに対して、油を注いでくださいとお祈りしてくださいます。
創世記28章18節にこのような記事があります。「ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ。」その油の作り方が出エジプト記30章23-33節に記されています。聖なる注ぎの油は、聖分された者であり、人となり、神に仕えるために聖別されたあかしとして注がれます。
第Ⅰヨハネの2章にもどります。2章の27節には、御子から受けた注ぎの油とあります。注釈を見ますと、ヨハネの福音書14章16節が出てきます。「・・父はもう一人の助け主をお与え下さる・・」「この方は真理の御霊です」17節つまり、真理の御霊、聖霊様のことを、御子から受けた注ぎの油と呼んでいます。ですから、メッセンジャーに対して、油を注いでくださいという時は、十分に聖霊様が働いてください、と言うことです。聖霊様は、私たちが救いに預かったときに、聖霊様も与えられます。それは、どのような意味があるでしょうか。「世から聖別されて、キリストのものとされることを意味しています。真理の御霊である、聖霊がイエス様を通して語られた、真理である神のことばを私たちの内に住まわせることで、私たちをイエス様の内に堅く保つのです。それゆえ、聖霊様が私たちにあらゆることを教えてくださいます。
私たちは思いもかけない試練に遭遇します。また、恐ろしいほどの虚しさに引きずり込まれます。愛のない人々に囲まれて、悲しい人生を歩まなければならない時があります。どうしても、希望が持てない、立ち上がれない時があります。私は、そういう時、決まってメッセージが与えられません。気力がないのです。けれども、物は豊かにあります。食べ物にも困りません。立派とは言えませんが、住む家もあり、車もあります。すべてそろっています。
しかし、力が出ません。どうすればよいでしょうか。エペソ書1:18、19「また、あなたがたの心の目がはっきりと見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働くすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」この力をいただくことが、神の注ぎの油です。これは、牧師だけのおことばではなくて、クリスチャンになったすべての人、世から聖別されて、キリストの者となった人に与えられる力です。
この力があれば、思いがけない試練や、虚しさ、悲しさ、失望、に立ち向かことができます。ヨハネの手紙第2章27節には、「真理であって、偽りではありません」とあります。「真理」。注ぎの油は「真理」です。「真理」とは何ですか。いつ、どんな時も変わらないものです。
私たちは、状況によって変わります。ペテロは最初、異邦人にとても優しくしていました。ところが、ユダヤ人がやってくると、「この人とは友達ではない」と言う態度を取りました。ペテロは言います「私は異邦人の味方ではありません。ユダヤ人の味方です」と。このペテロの態度を厳しく戒めたのが、パウロです。ガラテヤ212にあります。残念ですが、これは真理ではありません。けれども、私も含めて、人の相場とはこんなものでしょう。人は皆弱い存在です。人に真理はありません。しかし、イエス様は、どんな時にも変わることがありません。異邦人を愛し、ユダヤ人も愛し、自分が不利になっても証言や、お考えを変えることは決してありません。イエス様の愛は動かない真理です。
このイエス様の真理を注ぎの油によって、私たちは豊かに与えられています。それゆえ、試練の時も、恐ろしい虚しさの中に置かれても、愛のない人々に囲まれ、悲しんでも、希望が持てずに絶望していても、立ち上がることができます。イエス様の変わることのない真理を持っているからです。それが、注ぎの油です。
今週一週間、この注ぎの油が皆さんの心を満たしますように心からお祈りいたします。
今週のおことば
「しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくださいます。それは真理であって偽りではありません。あなたがたは教えられたとおり、御子のうちにとどまりなさい。」 ヨハネの手紙第Ⅰ 2章27節
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