4月7日 聖餐の意味
「聖餐の恵み」 新元号が発表されました。日本は新しい時代に踏み出そうとしています。イエス様の十字架はそれ以上に歴史的に、また、信仰の世界においても全く新しい恵みと時代をもたらしました。その象徴が聖餐です。イエス様は今朝、この晩餐に私たちを招きます。 最後の晩餐で、ヨハネはイエス様のサポート役としてイエス様の目の前の席にいました。ペテロは将来エルサレム教会を率いる重要な立場でしたが、その席は末席でした。トップに立つ人は末席を知る必要があるとイエス様はお考えになったのでしょう。私たちが最後の晩餐に招かれていたとすれば、私たちの席はどこでしょうか。それは、イスカリオテ・ユダの席です。驚くべきことにイエス様は主賓としてユダを着席させます。私たちをも主賓としてイエス様は招いてくださいます。しかし、ユダ同様、イエス様の愛を受け取ることが出来ません。しかし、イエス様はその弱さに対して寛容であり、人知では考えられない忍耐をもって忍んでくださいました。さらに、このうえない優しいいつくしみをもって、私たちの愚かさ、信じることへの恐れに対処してくださいます。そして、パンとブドウ液を私たちに与えてくださいます。 新しく変わって行く時代にあって、社会がどのように変化していくのか分かりません。どこの教団も教会も私たちの教会も後継者不足に悩んでいます。イエス様はそのような不安を抱えながら新しい時代に向かっていこうとする私たちに語りかけてくださいます。 「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約です。 新しい時代にするべきことはたくさんあります。しかし、イエス様はおっしゃいます。「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」イエス様に集中して、十字架に集中していく時、激動の時代にあっても私たちは守られます。