受難が私たちに語りかけるもの
今年は3月6日からレントに入っています。レントとは断食を意味する言葉です。灰の水曜日からイースターまでの期間(聖日を除く)の40日が、四旬節またはレントと呼ばれます。イエス様の受難を覚え、イースターまで、断食をした期間です。私たちは断食はしませんが、イエス様の十字架をしのび、恵みを思いめぐらす期間です。福音書の十字架の場所をこの時期に読むことは幸いです。 ルカは十字架直前のイエス様のお姿と弟子たちの姿を対照的に記しています。偉くなり人々を支配しようとする弟子たちと、罪人に数えられ、人々にあざけられるイエス様、自分の力と情熱で受難を簡単に乗り越えようとするペテロと、ひたすら祈り、神様に力をいただこうとするイエス様、本当に対照的です。 受難は生きているすべての人が様々な形で経験します。受難の時、人は本来の姿を現します。慌てる、怒る、逃げ出す、裏切る、一方で冷静、沈黙、留まる、誠実を貫く様々です。前半の反応は受難から遠ざかろうとする人の状態です。後半は受難の中に留まろうとする状態です。弟子たちは受難から遠ざかろうとし、イエス様は受難にとどまります。私たちは受難に遭うと、必死に逃げ出そうとします。身の安全、立場の死守、生活の安定を必死に守ろうとします。より良く生きるためです。これらが脅かされる時、生きる保証がなくなるからです。 1954年9月26日北海道で洞爺丸号が転覆。1314人のうち、救助されたのは159人。この時2人の宣教師が自分の救命道具を溺れていた人に渡し、殉教しました。イエス様と宣教師の姿は受難の中で、全く同じです。自分のためではなく、人のために尊いいのちを捧げます。 へブル書5:8には受難を通して、イエス様は従順を学ばれ、完全な者とされたと、記されています。2:10にも、多くの苦しみを通して完全なものとされた、とあります。つまり、受難はイエス様を完全な神の御姿であられることを証明しました。完全な神であるイエス様を信頼して歩みましょう。