3月17日「心の貧しい者は幸いです」

「心の貧しい者は幸いです」 イエス様はガリラヤ全域を巡って、会堂で教え、民の中のあらゆる病を癒されます。その結果、シリア全域に評判が広まり、大勢の群衆がイエス様の話を聞こうと集まります。イエス様は群衆に語りかけます。マタイは2節で興味深い表現を使っています。それは、「イエスは口を開き」です。話を始めるときに口を開くのは当たり前です。なぜ、この表現を使われたのか。この当時、人々は会堂に集まり、書いてある律法を聞くだけでした。しかし、「口を開く」瞬間から、神のみことばが開かれたことを意味します。イエス様の第Ⅰ声は「心の貧しい者は幸いです。」 「心の貧しい者」とは、原典のギリシャ語を直訳すると「霊において貧しい者」です。霊においてとは、特に神との関係においてという意味を持ちます。つまり、神のみ前で貧しく、すべてを神に期待し、神から与えられることを願い求めるしかない人のことです。もっと簡単に表現するならば、何のお返しもできない汚い手で、イエス様に憐れみを請う姿です。この姿勢がクリスチャンの原点です。 その汚れた手に与えられるものは何でしょうか。それは、天の御国です。永遠のいのちであり、神のこどもとなる特権です。イエス様に手を差し伸べるだけで無料でいただけます。普通、報酬は労働の結果です。しかし、天の御国は恵みによって何の働きもなしにいただけます。今朝、私たちは全員で神様の前に出て、汚いお返しのできない手でお祈りしたいと思います。「イエス様、私をあわれんでください」と。 イエス様は微笑みながら、十字架の傷跡が残る手で私たちの手をとりおっしゃいます。「天の御国はあなたのものです。安心してあなたの人生を歩みなさい。」と。