9月16日「ありがとう」
「感謝する」とは、それほど感謝することがなくても感謝を掘り出すことです。散歩していて、小さな花がさいているのを見つけるようなものです。ルカの福音書17章には、ツァラアトという病気で苦しんでいる人が登場します。ツァラアトは重い感染症で、家族、社会から隔離されます。10人のツァラアトで苦しんでいる人がイエス様によって癒されます。この人たちは喜んで町に行きます。ところが、イエス様にお礼に戻って来たのはたった一人の外国人でした。イエス様は「10人癒されたのではないか。あとの9人はどこに行ったのか。」と言われます。お礼を言いに来たサマリヤ人と9人には大きな違いがありました。9人は身体が病気から癒された人。お礼に戻ってきたサマリア人は、身体も心も癒されたのです。
マザーテレサは、薬やベッドを瀕死の人を優先に使います。助かりそうな人を助けたらいいのにという非難の中、まるでゴミのように亡くなっていく人々を手厚くケアーします。そして、最後にこの人々はマザーに「ありがとう」と言って天に帰っていきます。マザーが最も優先したのは、神様に愛されている人をゴミのように死なせないことです。
私たちは罪を犯してしまった時、大きな困難・試練の中、あるいは、深い孤独を感じる時、「自分なんか生まれて来なければよかった。」と思います。そういう人たちのために、イエス様は、「生まれて来てくれてありがとう」と、おっしゃるために生まれてくださいました。もし、あなたが、半分でも自分は生まれて来てよかったと思えるなら、そこは半分天国です。
森下辰衛先生メッセージ要約