魅力ある人
- インマヌエル上田教会
- 5月15日
- 読了時間: 11分

2025年5月11日礼拝説教
使徒の働き 4:32~37、9:26~27
11:22~26
ある兄弟が牧師に「今日説教で語られた『聖徒』というのはどのような人のことですか」と尋ねたとき、牧師が「その人を見ていると神さまが信じやすくなる人です」答えられたのです。聖書はあり難い書物です。というのは、そのような聖徒になれる教理が教えられているだけでなく、聖徒とはどのような人であるか、その模範を示している点です。
私たちは常に聖書を読んでいますが、私は読書の中で努めて主の働き人やクリスチャンの伝記を読むようにしています。その読書によって他人の品性と生涯を学ぶほど私たちにとって教訓と励ましを受けるものはないと感じています。
この朝、新約聖書に登場する人物のうち、ある意味で脇役とも思えるバルナバからそのことを学ぶことにします。彼はパウロと一緒に伝道した人です。しかし、パウロはあのように偉大な人物ですがバルナバは目立つことなく影が薄く見えます。やがては聖書に出てこなくなります。それで、脇役のように思われているのですが、実に聖霊に満たされた素晴らしい人物でした。
第一 受けるより与える人
バルナバは「レビ人」でしたが、どのようにして救われたかは聖書に記されていません。聖書に最初に登場するのは使徒の働き4章32節以下です。彼は「クプロ」すなわち今日のキプロス島の出身でした。この島はぶどう、小麦、オリーブ、いちじく、蜂蜜などの産地です。ここで畑を所有しているということは、彼が富裕な人であったということです。
ところが、イエス・キリストを信じて救われ、教会の必要を知って所有していた畑を売り、「その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた」(4:37)のです。日本の神社仏閣では、たくさんの寄付をした人々の名前が目立つように大きく掲示されます。「足もとに置いた」とは意外な表現です。使徒たちはバルナバの献げものを頭上におしいただいた、というのではなかったのです。つまりキリストが教えられた、「あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左手に知られにようにしなさい。」(マタイ6:3)の精神で献げたのです。
彼はキリストの救いを受けてから、自分の持ち物を自分の所有物と思わず、神から委託されている神のものと考え、それを主の尊いご用のために用いたのです。こうしてバルナバのささげ物によって貧しい者たちは生活を支えら、その名の通り慰められたのです。
また、「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒20:35)との主イエスの教えに従って生きていたことです。使徒の働き20章に記されているように、パウロが第三次伝道旅行の帰途、ミレトにエペソの教会の長老たちを呼んで告別説教をします。その説教の最後に「このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりは与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」(使徒20:35)と語りました。バルナバは受けるよりも与える生活を神さまが喜ばれること、また、受けることの喜びよりも、与えることの喜びの方がはるかに大きいことを知っていてそのように生きた人だったのです。
日野原重明先生が講演された後、交わりを持たれた席で、ある会社の社長が「本当の喜びはどこにあるのでしょうか。」とお尋ねしました。すると先生が、「今の世の中は、ギブ&テイクではなく、テイク&テイクの時代だけれどもギブ&ギブに徹しなさい」おっしゃったのです。
私たちクリスチャンも、財だけでなく、神さまから委託された賜物や時間を含めて「受けるよりは与える方が幸いである」と主イエスが教えられたみことばに従って、生きる者とならせていただきましょう。神さまと人を喜ばせることによって与えられる本当の喜びを経験する者とならせていただきたいと思います。
第二 仕え、助ける人
初代教会のクリスチャンたちは迫害者サウロの回心を祈っていました。そのサウロがダマスコ途上で復活のイエス・キリストにお会いして回心し救われたのです。ところが、彼らはサウロが回心したというのに半信半疑でした。ちょうど使徒の働き12章にあるようにです。
そのとき、ペテロはヘロデ王によって捕えられて獄に入れられ鎖でつながれていたのです。教会ではペテロのために徹夜の祈祷が神にささげられていました(使徒12:5)。ところが、祈りが応えられ奇跡的に救出されたペテロがドアをノックしているのに人々が信じなかったようにです(使徒12:14~16)。
このとき、サウロのダマスコにおける回心の出来事はまだエルサレムに周知徹底していなかったのでしょう。ですから、パウロは、エルサレムでは恐れられ、信用されていませんでした。それは、無理からぬことでした。彼は期待してエルサレムに来ましたが、友なく支援してくれる当てもなく全くの孤独でした。そのような四面楚歌の中で、バルナバだけが、サウロの上になされた神の恵みのみわざを信じたのです。
9章26~27節をお読みします。「エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。」のです。その結果、サウロは信頼されるようになり、「サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の御名によって大胆に語る」(28)ことができるようになったのです。
私たちクリスチャンはよく祈ります。「あなたの御名のためにふさわしく生きることができるように罪から守ってください」「この日、職場で、遣わされた所で、与えられたなすべきことのために力をお与えください」「わたしが出会う人にキリストを証しできるように聖霊に満たしてください」「今日の集会での司会のご奉仕が御名のためにできるように助けてください」等々です。これらの祈りは正しく筋が通っています。そう祈ることは大事なことです。しかし、人々を助ける恵み、人々に仕える恵みを与えられるようにどれだけ祈り求めているでしょうか。
バルナバが他に何もしなかったとしても、サウロを助けたということだけで、彼は神さまに永遠に覚えられるすばらしい働きをしたのです。イエスさまは「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコ10:43)と言われました。私たちも人を助け、仕える人生を送らせていただきたいと思います。
第三 謙遜な人
ステパノの殉教と迫害で散らされたクリスチャンたちは、エルサレムを離れ、至る所であかしをしました。これが初代教会の特色です。ある人々はシリヤのアンティオキアに来て伝道しました。この都市は公私の浴場、セントラルヒーティング、衛生の諸施設、ことに照明の設備が十分で、夜も昼のように明るかったと言われています。キケロは「人口が密集した、輝くばかりの学問と芸術の都であった」と書いています。
このアンティオキアには、ユダヤ人街の外に、シリヤ人やギリシャ人やローマ人たちの住む地区がありました。散らされたクリスチャンたちはギリシャ人にも伝道しました。その結果そこに教会ができました。そして、ユダヤ人もギリシャ人も一緒に礼拝をささげるようになりました。
ところがむずかしい問題が起こりました。そこでエルサレム教会はバルナバを派遣しました。案の状、彼が来て、教会はいよいよ恵まれ、盛んになって行きました。バルナバは神のみわざを見て喜びましたが、この働きは自分ひとりの手に負えないことに気づきました。しかし、エルサレムの使徒たちの中にも、ピッタリという適任者が見つかりませんでした。そのとき、彼はサウロを思い出したのです。このとき、サウロはまだ無名でした。
バルナバは実際的で人々を励まし、慰め、信仰を成長させる賜物をもっていました。しかし、サウロのような迫害者から伝道者に劇的な回心した、明確な力強い証しができ、しかも神学的論理的な頭脳をもった協力者の必要を感じたのです。
そこでバルナバは彼を捜し求め、タルソでやっと発見しました。彼をアンティオキアに引き出し、その桧舞台で才能を発揮させました。バルナバはこのようにして自分よりもタラントのある人物を引き立て、自分は彼の背後に隠れて仕えたのです。このような奉仕は無私の人でなければできないことです(使徒11:25~26)。
そのアンティオキア教会から第一回伝道旅行が始まりました。一行のリーダーはバルナバでしたが、途中からサウロ(パウロ)がリーダーシップをとるようになります。バルナバはパウロの力量を認め、自らリーダーの位置を下ります。彼は「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。」(Ⅰコリント13:4)とあるような愛の人でした。
ですから、神と人への謙遜と愛こそが、キリストのからだである教会を一つにして生かすのです。教会は愛にあって一つになって協力するとき聖霊は働かれ、神に祝福され、喜びといのちのある群れとなり救霊の実を結ばせてくださいます。
ところで、第一次伝道旅行にマルコが同行しました。しかし途中、挫折し帰ってしまったのです。それでパウロは第二次伝道旅行からはマルコを連れて行きませんでした。しかしバルナバはその失敗者マルコを見捨てず育てたのです。パウロがローマの獄中で殉教の死を遂げる前の年に、テモテの第二の手紙を書きました。その手紙の中で寒いからオーバーを、また羊皮紙の書物を持ってきてほしいと愛弟子に頼んでいますが、そのさい、「マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役立つからです」(Ⅱテモテ4:11)と書いています。
バルナバは無私な人で、人を妬(ねた)まない謙遜な愛の人でした。そして、あくまでもパウロを立て、心底から協力を惜しまなかったのです。バルナバがいたので、パウロを通して福音がローマ全体に宣べ伝えられ、多くの人々が救われていくことになりました。私たちクリスチャンも無私で妬まない愛の人となり、人を生かし、人を育てるような人となりたいと思います。
四.聖霊と信仰に満ちた人
使徒の働きではパウロが大きく取り上げられ書かれています。しかし、バルナバも大きな働きをしたのですが、使徒の働きの途中から聖書には記されていません。その後、バルナバはどのように生きたのでしょうか。私の想像です。CSルイスという人は、イギリスの中世・ルネサンス文学専門の天才的な学者でしたが、こういうことを言っています。「天国をめざして生きなさい。そうすれば、あなたは天国もこの世も得られます。この世だけで生きるなら、天国もこの世もともに失うでしょう。」
ですからバルナバは天国をめざして生きつつ、神と人とに仕える静かな祈祷と奉仕の晩年を過ごしたのでしょう。聖書には記されていませんが、その間バルナバは愛の人で「慰めの子」とも呼ばれたように、多くの人を助け慰めるような生涯を送ったことでしょう。
I市にある教会のある兄弟のことです。4年前に召されましたがご夫妻ともに祈りの人で、特に兄弟はバルナバのような人でした。高学齢の優秀な人でしたが人生に行き詰まりを感じていたとき、開拓の小規模の教会に導かれ、聖書を全部読んでから洗礼を受けます約束されました。とくに十字架にかかられたイエス・キリストのお姿に感動し、このお方の地上のお働きを継承するため生きたいと決心して洗礼を受けられました。教会役員もされましたが、印刷や掃除(大規模の教会なってからはリーダーとして)、CSの送迎、CS教師、様々な教会行事や牧師を助ける奉仕など40年ほど黙々とされ教会員のよき模範となられました。
お仕事は精密関係の技術者で日曜日のゴルフ等の接待は一切お断りになり、韓国などに出張されることがありました必ず土曜日には帰宅し自分の教会で礼拝をささげられました。最後の仕事は医師の乗らない移動診療車への取り組みでした。高齢者や僻地の高齢者のところに看護師が乗って出かけ、テレビ電話を用いて看護師のオンライン操作で医師の診察を受けることができる車です。その仕事は非常に高度な難しいものでしたが兄弟が完成されるのに大きな力となられました。市から表彰され、新聞で大きく報道されました。その移動診療車は高齢者や僻地の病める方々のために大いに役立っています。
兄弟はこの世の名声を得る道もあったでしょうし、お金儲けする道もあるような兄弟でしたが、バルナバのように生き、神と人のため用いられる生涯を送られ、平安のうちに天に召されました。
バルナバのような魅力ある人格は、生まれながらのものではありません。「聖徒」といのは人格的に徳の高い「聖人」のことではありません。その意味は「主に聖別された者」で「神の召しにより神の民とされた者」というのが本来の意味です。バルナバについて「彼は立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちている人であった。」(11:24)と言っています。ここに私たちクリスチャンの信仰の目標(可能性)と希望があります。私たちが神に心から明け渡し、聖霊に満たされ、聖霊に支配される、神を全く信頼して生活を送るとき、誰でもバルナバのような「聖徒」となることができるのです。また霊的に成長していきます。聖霊は私たちを通して働かれ、誰でも小バルナバになれるのです。私たちも小バルナバの生涯をめざして歩みたいと思います。
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