継承される教会



2022年9月11日 メッセージ要約

へブル人への手紙 11章32節~12章3節 *1

創立60周年の記念の時を迎えようとしている上田教会です。また、会堂問題にも取り掛かっています。そのような中、しばらく「教会」についてメッセージするように導かれています。今朝は、へブル人への手紙11章32節~12章3節です。「継承される教会」です。


12章1節に「こういわけで」と書かれています。どういうわけかと言いますと、11章1節の「さて」から始まります。アベルからはじまり、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、士師たち、そして、最後の士師サムエルまでが記されています。


11章39節が1節~38節までのまとめです。ここに記されているお一人、お一人は信仰によって称賛された人たちです。しかし、約束されたものを手に入れることはありませんでした、と記されています。この個所は、アブラハムの信仰を学んだ時にも見ました。内容は、信仰によって歩んだが、約束されたものを手に入れることがなかったとあります。その理由は40節に記されています。「神は私たちのために、もっとすぐれたものを用意しておられた」と記されています。この世では得ることが出来ないもっと優れた物とは何でしょうか?それは、天の御国です。さらに、このように付け加えられています。これが今日のメッセージの大切な部分です。それは、「私たちを抜きにして、彼らが完全な者とされることはなかった。」です。不思議なおことばだと思いませんか?黙示録6章11節を見てください。アダムからはじまって、サムエルまでが私たちを待っているということが書かれています。それで12章1節につながります。「こういわけで」多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから・・


こんな光景が思い浮かびます。オリンピックの会場でマラソンが開催されて、金メダリストがゴールのテープを切ります。次々とランナーがかえってきます。そして、かなり遅れて最後のランナーがふらふらになりながら競技場に入ってきます。すると観客は立ち上がって「がんばれ、ガンバレ、がんばれ。もう少しだ」と励まします。もしかすると、私たちはフラフラになりながら、最後のゴールのテープを切るランナーで、観客はアダムからサムエル、あるいは私たちの先輩たちが必死に応援してくれています。


ですから、「自分の前に置かれている競争」を忍耐をもって走り続けようとへブル人の記者は私たちに語ります。みなさん、とにかく、とにかく信仰の競争を走り続けましょう。私たちは神様を知らない世の中で、もしかするとフラフラになりながら信仰を守り走っています。

問題、課題に囲まれています。時として信仰を忘れてしまうこともあります。コロナで思うように会堂に集えないもどかしさの中、皆さん頑張っています。私も本当にフラフラしています。倒れるかなと思う時もありますが、皆さんのお祈り、神様の憐れみに支えられています。

教団の5年後、10年後を見ますと本当に大変です。私たちは、過去からバトンをいただきました。今度は未来にバトンを渡すという大切な役割があります。上田教会のバトンを次の世代に渡すことです。そのために、私たちはフラフラしながらでも、必死にゴールを目指します。次の人にバトンを渡すためにこの競争を止めるわけにはいきません。


そして、次に、どのように走るか?がここに書かれています。まず、身軽で走りましょうと。できれば薄いシャツで、ぜい肉も落としてと。走るときに余計なものがあります。それは、重荷と罪です。重荷とは心配事ですね。家族のこと、仕事のこと、将来のこと、経済的な問題、人間関係、みな、重い課題です。これは、私たちの信仰の足を止めます。マタイ6章25節には心配は辞めなさい、と書かれています。心配はすぐに、私たちの心に入ってきます。無頓着ではいけませんが、私たちの霊的な営みよりも心配が強くなると不信仰が入り込みます。不信仰は私たちの霊的な働きをストップさせるおそろしいものです。まず、心配をやめましょう。


次は罪です。ここに興味深いことばがあります。「まとわりつく」です。まとわりつく罪についてはガラテヤ人への手紙5章に記されています。16節~24節を読みます。これは私たちにまとわりつきます。このまとわりから解放されるためには、御霊によって歩むこと、と書かれています。聖霊様を認め、相談し、御声を聞き、従ってまいりましょう。


12章3節には走り続けていくうちに、元気を失い、疲れ果てるとあります。私たちはまとわりつく罪と心配で疲れ果てます。詩篇46:10

「やめよ。」とあります。まとわりつく罪と、心配で、元気を失い、疲れ果てる時、私たちは全てをストップさせることが必要です。


「心を静め、わたしこそが神であることを知れ」です。


仕事がうまくいかない時、試練の時、茨城県の大洗の海によく行きました。ジーと海を見ていると神様の偉大さと自分の小ささがよく分かります。まず、動きを止める。できれば、朝起きてすぐに動きを止めて、心を静めて神様と語り合う時を持つと、私たちは一日快調に走ることが出来ます。


さらに、止まって何を考えるか?ですが・・

私たちのために十字架を偲んでくださったイエス様のこと、神の御座の右に着座されているイエス様のこと、罪人たちの反抗を耐え忍ばれたイエス様のことです。もっと簡単にするなら「十字架、最高の主権者、忍耐」です。この3つが、信仰の旅を疲れ果てずに走るために必要な3つのキーワードです。十字架、最高の主権者、忍耐です。

このことを思い、考え、自分の生活の中にぜひ、入れてみてください。

十字架、最高の主権者、忍耐。何となく力が湧いてきませんか?


これが完走するのに必要なものです。教会は過去、現在、そして未来へと繋がっていきます。私たちは現在を走っています。この場所に若い糸たちが集い、その人たちがまた、次の世代にバトンを渡していきます。今、私たちが未来の人へバトンを渡すために走っていることを自覚したいと思います。


今週1週間、ここからスタートさせていただきましょう。

十字架、最高の主権者、忍耐のイエス様、どうか私たちに走りぬく力をお与え下さい。



*1 へブル人への手紙 11章32節~12章3節

11:32 これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。

11:33 彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、

11:34 火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。

11:35 女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。

11:36 また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、

11:37 また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、

11:38 ──この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした──荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。

11:39 この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。

11:40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。

12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

12:3 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

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