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私たちは神のこども

2021年5月2日

ヨハネの手紙第Ⅰ2章28節~3章3節

 使徒ヨハネはイエス様の救いを受ける以前は「雷の子」とイエス様にあだ名付けされるほど怒りっぽい人でした。けれども、晩年はとても穏やかになり、ヨハネが講壇に立つだけで恵まれる使徒でした。ヨハネはクリスチャンたちを愛し「子どもたち」と呼びかけます。それは、ヨハネの教えを忠実に守った証しであり、一方、イエス様によって、贖われた「神のこども」という意味もあります。

 3章1節にはこう記されています。「私たちが神のこどもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。」とあります。御父のすばらしい愛とはイエス様を十字架に送り私たちの贖いを成してくださったという愛です。2節にはこうあります。「愛する者たち、私たちは今すでに神のこどもです。」と。


 神のこどもの特権は何でしょうか。永遠のいのち、罪の贖い、天国への希望、天での相続財産、沢山あります。

2節にはさらに素晴らしいことが記されています。「キリストが現れたときに、キリストに似た者になる。キリストをありのまま見る」素晴らしいですね。


 しかし、私たちの現実はどうでしょうか。コロナ禍でうつうつとしています。変異ウィルスが流行しやがて上田にもやって来るでしょう。ワクチンが届くのと変異ウィルスがくるのとどっちが早いか?なんて考えていないでしょうか。いや、真面目に考えなくてはいけません。

民数記13章30~14章4節まで読みます。私たちは現実を見ます。いや、見せられます。コロナ禍という巨人。教会は衰退していくだろうという巨人。何もかもうまくいかないという巨人。問題・課題・失望、あきらめという巨人。この巨人は私たちの気力を奪います。さらに、教会の人々に不和を与え、私たちの心を抑うつにします。そして、やがて教会を倒していきます。私たちは立ち上がれなくなりほど落ち込みます。


「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。」問題・課題に対して自分の知恵、実力、経験、すべていなごのように小さく見えます。巨人には到底歯が立たない、と。


けれども、巨人を見ずに神を見た人物がいます。いつも、この人々は少数派です。民数記の中では12人の中、たった2人だけでした。約17%残りの83%の人は巨人を見ます。17パーセントの人は神を見ます。

民数記14章6~12節。


皆さんは17%側ですか。それとも83%側ですか。私は生まれつき、根っからの83%側です。出来ないというデーターばかり集める。過去の上手くいかなかったことだけを思い出す。自分はいつも、いなごのように小さいからできないと言い訳をする。でも、本当はこれが正解なのです。巨人と喧嘩しない方がいいです。腕や足の骨が糸のように折られる。だから、カナンの地なんてない、私はカナンには行かない。怪我はしたくない、と。


でも、私たちは視点を1センチだけ上に上げる。1センチ下げると巨人が見える。1センチあげると、神が見える。


ヨシュア記6章にエリコの城の話が出てきます。高くそびえる城壁。この町を攻め落とすのは不可能に見えます。神様はおっしゃいます。町を1週しなさい。それを6日間続けなさい。そして、7日目だけは7周しなさい。そして、時の声をあげなさい。ヨシュア記6章20節には「城壁は崩れ落ちた」と記されています。

ただ、町を1週するだけ、7日目だけ7周するだけ・・・これだけで勝てる・・と誰が想像するでしょうか?誰も想像しません。


私が抱えている問題・課題はエリコの城壁のように高く、重く、頑丈で押しても引いてもどうにもなりません。神様おっしゃいます。エリコの城の周りを1周しなさい。

「わたしを信じて生活しなさい。私を信じて食事をしなさい。私を信じて仕事をしなさい。わたしを信じて休みなさい。」これだけ。あとは何も考えない。そして、やがてエリコの城壁は崩れる。「私たちは神のこどもです。」とは、こういうことです。信仰です。神のこどもの特権中の特権は信仰です。神様を信じれば巨人に立ち向かえるという信仰。神様を信じればエリコの城壁は崩れるという信仰。失望の隙間に信仰を入れてみてください。必ず不思議が起こります。今私たち、神のこどもが持っている特権です。


しかし、1つだけ心に留めておくことがあります。私たちの敵は実は巨人でも、エリコの城でもありません。もっと恐ろしい敵がいます。この強敵は、自分の陣営に潜む「アカン」です。ヨシュア記7章。7~13節。自分のことだけを考え、自分だけを喜ばせ、何事にも自己本位である「アカンの心」が巨人に打ち勝つ力を削ぎ、エリコの城壁はくずれません。その原因の張本人は「アカン」です。


ですから、ヨハネはこう記します。「キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。」

Ⅰヨハネ3:3


「信仰」と「アカン」は共存できません。私たちが征服するべきは実は、巨人ではなく「アカン」です。

十字架の前にでて、祈りましょう。さらに、大切なことは素直に出ることです。お祈りいたしましょう。



今週のおことば

「私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを考えなさい。事実、私たちは神のこどもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。」

Ⅰヨハネ3:1


「キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。」

Ⅰヨハネ3:3

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