神は愛だからです

2021年6月13日 メッセージ要約


ヨハネの手紙第1 4章7~12節  *1

ヨハネの手紙第Ⅰが記された頃、ローマ帝国のキリスト教弾圧は激しさを増していきます。ヨハネはパトモス島に流刑となり、そこで黙示録を書きます。ヨハネの手紙を書いた約5~10年後です。さらに、グノーシス主義が教会を荒らし多くの人が教会を去ります。そのような中、迫害で家族が捕らえられ、あるいは、社会の片隅に追いやれ、クリスチャンにとってその現実は非常に厳しいものがありました。


私たちも、家族に救いを伝え、友人、知人に伝えながらも理解されなかったり、変わっていると言われたりこの社会は私たちにとって生きやすい場所ではありません。それでも変えられない厳しい現実を生き抜いています。


そのような、西暦80年時代のクリスチャンと私たちにヨハネは、一番大切なメッセージを届けます。それは2つです。

「神は愛だからです」

「私たちは互いに愛し合いましょう」です。


でも、でも、と当時のクリスチャンも私たちも思います。


「神が愛」ならば、どうしてこんなひどいことが起こるのか?

こんな過酷な現実を生きなければならないのか。ヨハネ先生のメッセージはあまりにもギャップがあると。


ヨハネが語る「神は愛なり」とはどのようなことを言っているのか?


 ヨハネはこの手紙を書いた約50年前、壮絶な体験をします。12弟子の中では、たった一人、ヨハネだけが体験しました。

ヨハネの福音書19章25~27節にそのことが記されています。

十字架上のイエス様がたった一人十字架の現場にまで着いてきたヨハネに「母、マリアをよろしく」と頼みます。

 この光景はヨハネの中でPTSD(心的外傷後ストレス障害)


PTSDとは命の安全が脅かされるような出来事(戦争、天災、事故、犯罪、虐待など)によって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害のことです。


イエス様の十字架をイエス様の声が聞こえるほど近い場所で体験した唯一の弟子です。ルカの福音書5章10節で「あなたは人間を取る漁師になります。」とのイエス様の御声に聞き従いイエス様に従い通した3年半の最期が十字架です。3年間ともに食事をし、旅をし、奇跡を見、イエス様のお声を一言も漏らさずにメモをし、このお方について行くとの熱い思いを抱いていたヨハネが非常な精神的衝撃を受けたのが十字架でした。


不当な裁判から始まり、仲間がイエス様から離れる姿を目撃し、

イエス様の話を喜んで聞いていた人が一変し「十字架につけろ」と叫ぶ声、イエス様の下着は兵士たちのくじの商品になり、たった3本の釘がイエス様の身体を支えている現実。

そして、その御声「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かってイなのです。」との十字架の上で、毒1つ吐かない、いつもと変わらないイエス様のお姿。


 ヨハネは、これは現実なのか夢なのか分からないほどの衝撃を受けたでしょう。そして、イエス様の復活、昇天。


ヨハネはこの十字架を一言で表しています。「神は、実に、そのひとり子をお与えるになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と。

十字架は自分のためであったことに気がついたヨハネ。


「神が愛」ならば、どうしてこんなひどいことが起こるのか?

こんな過酷な現実を生きなければならないのか。ヨハネ先生のメッセージはあまりにもギャップがあると。私たちは思います。

 しかし、ヨハネは「十字架が本当の愛だ」と知っていました。

愛とは苦しいこと、痛いこと、悲しいこと、裏切られること、あるいは、自分の願いがかなわないこと、そればかりではなく、さらに、さらに苦しみに追いやられること。信じているのに、状況は悪化していくことです。そして、それは、イエス様と同じ道だとヨハネは悟ります。つまり、クリスチャンの本コースです。


ヨハネは思います。迫害があり、多くの仲間が殉教し、家族が離散し、さらに教会にグノーシス主義が入り込む。私たちも同じです。伝道しても理解されない。正直者は○○を見る。あるいは、変わった人だと言われる。家族は信じない、受洗者が与えられない、献身者がいない、牧師がいない、教会がなくなる・・・

「すべて、分かっている。全部十字架の道だ。私はそれを見て来た。だから、だから、「私たちは互いに愛し合いましょう。」こういう時だから、「神の愛を信じましょう」と。


「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」4:10


もし、非情な困難、苦しみ、孤独に苛まれたなら、私たちもヨハネのように、十字架のイエス様の前に立ちましょう。イエス様の激しい息遣い、痛み、そこから出てくる愛を感じてみましょう。

「私たちは互いに愛し合いましょう」

「神は愛だからです」



*1 ヨハネの手紙Ⅰ 4章7-12節

4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

4:12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。


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