神が私たちとともにおられる


2021年12月5日 メッセージ要約


マタイの福音書1章18~25節  *1

 へブル書2章14節には「・・子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。・・」とあります。イエス様は馬小屋でお生まれになり、飼葉桶に寝かせられました。それは、私たちを罪と死の恐怖から救い出すためです。霊的な存在であったイエス様が私たちと同じように、人として生まれてくださいました。言葉では表現できないほどの感謝の思いでいっぱいになります。それは、単純に人と同じような肉体をお持ちになっただけではなく、神であるイエス様が私たちとともにおられるようになったことです。お生まれになった時「神が私たちとともにおられる」インマヌエルと宣言され、マタイの福音書28章20節に「・・見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」とおっしゃって天に上って行かれました。つまり、クリスマスの主要なメッセージは「神が私たちとともにおられる」です。


「二本足の奇跡の犬」

2002年に米・オクラホマで産まれた犬の”フェイス”は生まれつき右前脚が無く、左前足も重い障害を抱え機能していない状態でこの世に生を受けました。生まれながらに過酷な運命を背負ったこの犬が、奇跡の犬として話題となり、全米・全世界の沢山の人を勇気づけ、救ったのです。このまま、成長すれば後ろ足で歩き胸を引きずるようになる。すると、胸の皮膚が裂けてしまう。獣医は飼い主に安楽死を勧めます。そして、何よりも辛いことは親犬も育児放棄をしました。大人たちがあきらめかけたその時、一人の男の子が「僕が育てる」と手を上げます。そして、その犬はフェイス(信頼)と名付けられました。男の子の家族は、フェイスの可能性を信じ、絶対にあきらめませんでした。ピーナッツバターを目に前に置いて、後ろ足で立たせるように促したり、雪の中に置き去りにし少し離れたところにいる自分たちのところまで歩けるよう訓練しました。いつしかフェイスは強靭な後ろ足を手に入れます。見事に二本足で立ち歩くことができる「奇跡の犬」と呼ばれるようになりました。かつて医者から見放され、安楽死さえ勧められた一匹の子犬は、世界中を巡り歩き小児科で闘病する子どもたちを癒し、励ましを与える医療犬として希望を届けました。ここに至るまで、男の子とその家族には大きな犠牲がありました。しかし、フェイスを愛すること、そして、生きるために必要な訓練を諦めることはありませんでした。


私たちは、罪の中に生まれ、希望が持てず、限りある自分の力にやがて尽き果て、生きるとは「こんなものだ」とあきらめながら生きることしかできませんでした。常に自分と他人を比較しながら自信がもてず、自分に価値を見いだすことが難しい状態で生まれました。自分も、他の人も私自身をどうすることも出来ない状態でした。しかし

そんな私たちを諦めなかったお方がたった一人だけおられました。それが、馬小屋にお生まれになり、飼葉桶に寝かせられた小さなイエス様です。


「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのありかたを捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。・・」ピリピ人への手紙2章6~8節。

「キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、・・」へブル人への手紙5章8節


 神が私たちとともにおられるとは、イエス様の多くの犠牲の上に成り立っています。イエス様は永遠の暗闇に向かう私たちのために手を上げてくださり、いのちをかけて十字架を全うしてくださいました。

私たちがまだ、神様を知らない時からイエス様は私たちを見出し、なかなか開かない心の戸をたたき続けて下さり、決してあきらめずに、十字架を全うしてくださいました。イエス様があきらめずにいてくださったために、私たちは今年も本当の意味でのクリスマスを味わうことができます。また、礼拝し、祈ることができ、心に希望が与えられ、試練の中にあってもくじけず前を向き、互いに愛し合い、互いに忍耐し、福音を伝え、悩んでいる人を助けています。イエス様に出会う以前の私たちは、礼拝もなく、祈りもなく、試練の中で自暴自棄になり、自己中心であり、忍耐できず、福音を拒否し、悩んでいる人に関心がなく、死をおそれ、永遠の闇に向かっていました。


私たちは当たり前のように、礼拝し、祈り、感謝をささげています。しかし、これは奇跡であることを2021年のクリスマス思いましょう。


あきらめずに私たちともにあってくださったイエス様に感謝しましょう。


*1 マタイの福音書 1章18~25節

1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

1:19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。

1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。

1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

1:24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、

1:25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。




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