真実な神様からいただく祝福


2022年1月9日 メッセージ要約

創世記12章1~4節 *1

コロナ禍2年目の2022年が出発しました。聖餐式をもってスタートしました。昨年は「恐れないで、ただ信じていなさい。」マルコの福音書5章36節のおことばにささえられた一年でした。礼拝で思うように集まることができない状況の中、伝道活動ができない状態でした。そのような中、神様は私たちに「恐れずに」「ただ単純に信じなさい」と導いてくださいました。私たちは単純にこのおことばを信じて前進した2021年でした。

 2022年は「信じる」とは、具体的にどのようなことなのかを「信仰の父アブラハム」から学んでいきたいと思います。

アブラハムがウルで生活していた紀元前2000年頃、現在のイランの南西部を中心として大きな勢力をもっていたエラム王国がウルに侵攻します。そのため、アブラハムの父であったテラは息子のアブラムと嫁のサライ、孫のロトを連れてウルからハランに移ります。テラは205年の生涯を終えてハランで亡くなります。この時、アブラム75歳でした。アブラムはノアの洪水から約400年後、ノアの息子セムから数えてちょうど10代目です。さらにマタイの福音書1章1節にはアブラハムの名前があります。つまり、イエス様の系図の1番最初の人物はアブラハムです。


 アブラムはハランで神様の召命を受けます。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」アブラムは妻のサライと甥のロトを連れてカナンに向けて出発します。アブラムは神様ご自身を真実な方と考え(へブル11:11)出発します。私たちも、私たちが信じる神様は真実なお方であることを確認して2022年を出発しました。


 さらに、神様はアブラハムを祝福します。「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。」と。神様を真実なお方と考えたアブラハムが次に受けるもの、つまり、信仰の次に受けるものは「祝福」です。信仰は神様を真実なお方と計算することの次に、祝福がある事です。


今日は信仰によっていただくことができる祝福について、見て行きたいと思います。「祝福」です。


しかし、6節を見てください。祝福の場所になるカナンの地には「カナン人」がいました。主はアブラムに言われます。「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。」と。そこには先住民がいました。

映画「マリア」ではイエス様誕生の大きな祝福をいただきます。しかし、その約束を最初はヨセフも、両親も、近所の人も理解しませんでした。また、ダビデはサムエルからイスラエルの王様の油注ぎを受けます。しかし、その後王様になるまでサウロ王から命を狙われます。

神様の祝福の約束とはいったい何なのでしょうか?

皆さんはいかがでしょうか?クリスチャンになり、商売繁盛、家内安全となったでしょうか?むしろ、クリスチャンになり、理解されないことあるいは疎外感を感じたこともあったのではないでしょうか?

神様の祝福とは何でしょうか?


エレミヤ書29章10節、故郷を追われ、バビロンに連れて来られた人たちへの神様のおことばです。「バビロンに70年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、・・あなたがたをこの場所に帰らせる。わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。・・それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるものだ。」しかし、バビロンから解放されるのは約70年後だと言っています。つまり、多くの人は解放されることがなく、バビロンの地で人生が終わるということです。つまり、このバビロンの地に住み着き、生活せよとの意味です。29章4~6節


神様の祝福とは何を意味するのでしょうか?そのヒントがエレミヤ書29章12~14節です。「…あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを見つける。」です。

つまり、神様との生きた関係性の構築が神様の祝福です。


 創世記に戻ります。12章2節にはアブラムから大きな国民が誕生するとの約束です。しかし、アブラムがそれを目で見ることがありませんでした。それは、ヨセフの次の時代にまで延期されます。しかし、真実な神様はアブラムの時代ではありませんでしたが、必ずその約束を成就されます。私たちは大きなスケールで神様の祝福を考えないと、信仰がずれてしまい、神様の真実を誤解してしまう可能性があります。


 その祝福の2つ目は、神様との個人的な関係の構築です。これから、神様とアブラハムの個人的な信頼関係は強く、太くなっていきます。

私たちは、イエス様の十字架によって、神様との個人的な関係を築くことができるようになりました。もしかすると、人間的な祝福を見ることがないかもしれません。人間的な祝福は一人、一人、全く違います。目に見える祝福で神様の祝福を考えないようにしたいと思います。それは、もしかすると神様を小さく捉えてしまう可能性があります。


 そうではなく、個人的に神様に呼びかけ、祈り、神様を探し求めるとき、私たちの心にはどんな困難にも負けない希望が与えられ、喜びの火が消えそうな時も聖霊の喜びが心にあり、問題・課題に囲まれても信じて前進する力が与えられます。


 これこそが神様の祝福です。


*1 創世記 12章1-4節

12:1 【主】はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

12:4 アブラムは【主】がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。



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