生きている方を死人の中に捜す?
2023年4月9日 メッセージ要約
ルカの福音書24章1~12節 *1
イースターおめでとうございます!金曜日の朝9時~午後3時まで十字架上で苦しまれます。金曜日の午後3時はオンラインの勉強会中でした。ある牧師が「あっ。3時を過ぎましたね。3時を過ぎるとホッとする。イエス様の十字架の御苦しみが終わるからです」このようにはなされていました。金曜日の3時から日曜日の早朝まで、墓におさめられ、日曜日の早朝復活されます。そのことがルカの福音書の24章に記されています。
ここで起こった出来事は、①石が墓から脇に転がされていた。
②イエス様の御身体がなくなっていた。③まばゆいばかりの衣を着た人が2人いた。そしてこう言った。「どうして生きている方を死人の中に捜すのですか?」と。④ペテロが墓の中を覗き込むと亜麻布だけが見えた。この出来事に対する人の反応は❶途方に暮れていた。❷恐ろしくなった。❸忘れていた。❹たわごとのように思えた。❺自分のところに帰った。前半の①~④は復活を表現しています。❶〜❺は十字架の死の状態を表現しています。イエス様は復活、しかし、弟子たちは十字架の死の状態にいました。
イエス様が生きておられるとはどのような事でしょうか?
① 香料は不要。②途方にくれる必要はない。③恐れることはない④忘れられることはない⑤自分のところに帰るのではなく、人々に福音を語るために出て行く。
私たちの心を見てみましょう。
② 復活は2000年前の出来事と思っている。
② 何かに途方に暮れている。自分の姿、他者の姿、現状に・・
③ 何かを恐れている。自分、他者、現状、・・・
④ 復活を事実だとは思っていない。イエス様との関係性が希薄。
⑤ 内向きである。人の救いにあまり関心がない。
⑥ 希望が持てない。「何か、いいことないかな?」
⑦ 過去の栄光、過去の功績、過去の繁栄に囚われている。
「昔は良かった」とつい言ってしまう。
もし、一つでも当てはまるならば、イエス様を死人の中に捜していることになります。
「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか?」と問われてしまいます。
皆さんはいかがですか?そして、このメッセージを語っている私は?
では、復活の信仰とは何でしょうか?
① 大きな石が墓から脇に転がされていた。女性2人では到底できない重さの石。私たちの中にある難しい問題・課題・試練。大きな石のようにいつも私たちの心の中にある。その石はすでにわきに転がされている。
② 「ここにはおられません」6節。イエス様は生きておられる。
2023年4月9日生きておられます。新会堂に向かっている上田教会を喜んでいてくださいます。でも、一方で、まだ、心の整理がついていない方、あるいは寂しさの中にある方にそっと寄り添ってくださっています。そして、過去の栄光ではなく、今の時代、元気のない今の時代にこそイエス様は生きておられます。
③ イエス様の方から近づいてこられる。私たちの話を聞いてくださる。「歩きながら語り合っているその話は何のことですか?」
「あなたは何に悩んでいますか?」「あなたは今、一人ですか?」
「あなたは何かに苦しんでいますか?」「その話をわたしに聞かせてください」と復活の主が私たちに近づいていくださいます。
「イエス様、○○が大変です。聞いてください。理解してください。分かってください」と、祈ることができれば、私たちの大きな重い石は既に転がされていることが分かります。
「わたしは決してあなたをひとりにしない」
4月9日を読みます。
あなたは、いついかなるときもわたしのものだ。どんなものも、わたしの愛からあなたを引き離すことはできない。わたしはまさに、このいのちをあなたに与えた。だから、わたしがあなたのことを大切に扱うことを確信して、安心しなさい。
あなたの心が焦点を失い、思いがとりとめもなくあふれ出してくると、あなたは不安になって、自分はひとりぼっちだと思いがちだ。
あなたは問題を解決することに主眼を置くようになる。あなたの気持ちをしっかり戻すためには、ただわたしの方を向いて、あなた自身とあなたの問題とをわたしのもとに携えてくればいい。
わたしの愛の光を浴びたとたん、多くの問題は消えてなくなる。自分は決してひとりではない、とあなたが気づくからだ。
まだ残る問題はあるかもしれないが、わたしを知って、望むままに与えられるわたしとの関係を楽しむことに比べれば、さほど重要ではなくなる。
一瞬、一瞬、あなたは選び取ることができる。
わたしの存在に焦点をおくか、心に問題を抱えたままでいるか、を・・・。
皆さんはどちらを選択しますか?死人の中にイエス様を捜すか?生きておられるイエス様と対話するか?
「・・あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。・・」 ルカの福音書24章5.6節
*1 ルカの福音書 24章1~12章
24:1 週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。
24:2 見ると、石が墓からわきにころがしてあった。
24:3 入って見ると、主イエスのからだはなかった。
24:4 そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。
24:5 恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。
24:6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
24:7 人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」
24:8 女たちはイエスのみことばを思い出した。
24:9 そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。
24:10 この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。
24:11 ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。
24:12 〔しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。それで、この出来事に驚いて家に帰った。〕
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