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生きている信仰


2021年8月1日 メッセージ要約



バプテスマのヨハネはイエス様の道を整えました。そのメッセージはルカの福音書3章3節です。「罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマ」です。具体的には11節「下着を2枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」13節「決められた以上には、何も取りたててはいけません」

14節「だれからも、金を力ずくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」です。これは、○○しなさいという律法です。しかし、残念ながら律法はいのちを与えません。逆に自分の弱さ、罪の深さあるいは恐怖を意識させます。

バプテスマのヨハネのメッセージはヨハネの手紙第Ⅰの5章7節にある水の部分です。ですからヨハネのバプテスマは「水のバプテスマ」と言われています。そこにいのちはありません。それに対してイエス様のバプテスマは「御霊と水と血」を複合しています。つまり、律法と十字架さらに聖霊様の恵みが含まれるバプテスマです。律法は私たちを無力さと罪深さあるいは燃え尽き症候群に導きます。しかし、十字架は罪深さから私たちを救い、さらに聖霊様によって弱さを力に変えられていきます。希望と恵みと愛が与えられます。イエス様のバプテスマにはいのちがあります。


 では、具体的にいのちがあるとはどういうことでしょうか。今朝、讃美しました「土の器」にあります。

「土の器、欠けだらけの私、その欠けから、あなたの愛があふれ流れる・・・」私たちの罪深さ、弱さの中に、イエス様の恵み、愛があふれます。いのちとは温かなものです。生きています。心臓が動いており、血流があり、一つ、一つの細胞が血液から運ばれてくる酸素を吸収し、二酸化炭素を血液中に排出します。これが生きている状態です。霊的には罪によって死んだ私たちのたましいに、もう一度イエス様の十字架を信じることによって、血液が流れ始めます。神様との交流が始まります。

ヨハネの手紙第Ⅰ5章10節「神の御子を信じる者は、その証しを自分のうちに持っています。・・」どいうことでしょうか。つまり、実感できることです。先週の宮嶋さんの証しの中に何回も使われた言葉です。

wonder」です。神様が確かに働いておられることが実感できることです。これは、もしかすると、他人は理解できません。クリスチャンであっても、ある種の人にはさっぱり分からないことです。しかし、自分の内側には実体験として否定できない信仰があります。これが生きている信仰です。


デルタ株が流行しています。緊急事態宣言はもう慣れっこです。アッ。またかです。上田もここ数日で感染者が増えています。さらに増えていくことが予測されます。何か、私の中に半分以上「あきらめ」があります。慣れてきました。秋になると、さらに変異した株が流行すると言われています。ワクチンを3回打たないと効果がないと言われています。あるいは、ワクチンの効果がないのではないかとも言われています。いよいよ深刻になります。しかし、やがて、このコロナの戦いは終わります。確実に終わります。その時、私たちの信仰に「何が残るか」です。世界中で流行しはじめ、世界中で一斉に終わります。ですから、多くの人の記憶に残らないと、心理学者が言っています。こんなに大変なことが記憶に残らないとは、不思議です。確かに戦争のことは語られていても、ペストやスペイン風邪、天然痘は、今だからこそ話題になりますが普通の生活の中ではほとんど登場しませんでした。


ですから、 私たちは今、「よく考える」必要があります。信仰的に「何が起こっているのか?」信仰とは神様からの意味づけを一人一人が与えられ、試練の中を恵みと希望にあふれて生きることです。集まることが出来ない、交わりが絶たれる中で神様が私に何を語ろうとされているのかを注意深く聞くことです。もし、これを行わないならば、コロナの期間、神様が与えてくださった教訓を受け取らずに何も残らない可能性があります。いよいよ、聖書を読み、祈り深く、考え深くこの時期を過ごさないと大切な物が失われていきます。コロナはやがて終わります。しかし、その時にもっとも大切な命を失う可能性があります。それは、「永遠のいのち」です。


 もし、私たちが時間割をこなすように日曜日を過ごしていくと、「いのち」が養われないのでコロナが収束した時に何も残りません。しかし、この困難の中、考え深く、聖書を読み、神様の語りかけに耳を澄まし、心に平安と希望と恵みが注がれるならば、教会は息を吹き返します。


個人で、家庭であるいはご夫妻で、1人で、よく祈ってください。そして、1人1人「信仰の意味づけ」は何かをよく考えてください。上田教会の牧師として心から切にお願いいたします。「信仰の意味づけ」が私たちの信仰にいのちを吹き込みます。


 どうぞ、困難な中、1人でも失われる人が起こりませんように、用心していきましょう。


「神の御子を信じる者は、その証を自分のうちに持っています。・・」

 ヨハネの手紙第Ⅰ5章10節


「御子を持つものはいのちを持っており、神の御子を持たないものはいのちを持っていません。」

 ヨハネの手紙第Ⅰ5章12節




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ヨハネの手紙Ⅰ 5章6節~12節

5:6 このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。

5:7 あかしするものが三つあります。

5:8 御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。

5:9 もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。

5:10 神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。

5:11 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。

5:12 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。


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