歩み続ける教会


2022年10月9日 メッセージ要約

ルカの福音書12章31、32節 *1

 再来週は上田教会創立60周年の記念集会が持たれます。今日の礼拝は№3002です。60年前は№1から、上田教会がスタートしました。

イエス様は№1から上田教会を守って下さいました。今日に至るまで、多くの牧師、さらに信徒の方々が神様の摂理の中でご奉仕してくださいました。私はもちろんスタートの時を知りません。最初は女子の神学生の実習からスタートしました。そして、横山先生、さらに深谷先生の祝福された時代があり、また、今は牧師もそして、中心的な人たちも変化しつつあります。けれども、上田教会は最初からそして、最後の礼拝まで、歴史は刻まれていきます。


 私たちは人としての一生があります。また、クリスチャンとして、神様と私個人の旅路があります。さらに、それぞれに属している教会の旅路があります。私は宇都宮教会、神学院教会、高津教会、十和田教会、岐阜教会、そして上田教会。一番長いのは宇都宮の18年のクリスチャン生活です。その後は神学生として、さらに牧師として、3年~6年という短いスパンでそれぞれの教会の歴史に本当に小さな足跡を残してきました。一番短いのは十和田教会の一年です。どの教会もイエス様を中心とした素晴らしい教会で、楽しい思い出が沢山あります。


 今朝はルカの福音書12章を開きました。イエス様は「小さな群れよ、恐れることはありません。」と語られます。「小さな群れ」とはどの群れでしょうか?12章1節には数えきれないほどの群衆が集まってきて・・とあります。13節、「遺産を分けるように兄弟に言ってください。」との要求があり、どん欲には気をつけることをイエス様は群衆に向かって話されます。それから、多くの群衆とは対照的に、いつもイエス様に従ってきている弟子たちに向かって話されます。22節、それからイエス様は弟子たちに語られます。あなたがたは、神の国を求めなさい、そうすれば必要はすべて満たされます、と。

ここで、「小さな群れよ・・」と語られます。


 イエス様といつも一緒にいる弟子たちはそんなに裕福ではなかったと思います。けれども群衆の中には裕福な人がたくさんいたでしょう。

しかし、イエス様に従ってきた弟子たちは船を捨て、網を捨て、仕事を捨てて着いて来ています。私たちはこれから一体どうなるのだろうか?大丈夫なのだろうか?と思っていたかもしれません。しかし、イエス様は優しく弟子たちに語ります。「小さな群れよ」と。イザヤ書40章の11節。「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に小羊を引き寄せ、懐にいだき、乳を飲ませる羊を優しく導く・・」とあります。イエス様は「群れ」をいつも意識されていました。


教会は御国を目指して一緒に旅をする仲間たちです。今日、愛する人々と一緒に神の御前に出て礼拝を捧げている、という事実の素晴らしさを思います。それゆえに短いこの時間はかけがえのない時です。


先週の祈祷会で「神の家族としての教会」のメッセージが語られました。その中で、他国人でもなく、寄留者でもなく、神の家族とされた素晴らしさをパウロが語っています。「『他国人』とは外国からの訪問者であって、今日流に言えば、入国に際してパスポートとビザが必要な人たちのことです。パスポートは自国が訪問する国に対して、その人が自国民であることを証明するものです。ビザは相手国が入国を許す許可書であって、自国に不都合と思われる訪問者には発行されないこともあります。ですから、他国人には遠慮があり、さまざまな制約もあって、自国にいるような自由はありません。

「寄留者」は、旅行者より長期にわたって滞在が許された者ですから、ある程度の自由が与えられます。しかし、その国の「国民」と同等の権利は与えられないのです。その国で自由に生活し、行動できるのは「国民」だけです。」との説明がありました。他国人、寄留者、国民の違いがよく分かります。私たちは、他国人でもなく、寄留者でもなく、神の国の国民です。お互い、天から与えられる日ごとのマナに養われ、天の故郷を目指して、ご高齢の方々も、若い人も、強い人も、或いは弱い人も、誰も遅れることなく、一方で先んじることなく、誰も置いて行かれることもなく、誰も見捨てられることなく、共に御国に向かって旅を続けている群れです。


イエス様は私たちに語られます。「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父は喜んであなたがたに御国を与えてくださいます。」と。私たち、上田教会は新会堂に向けて前進しています。それも、上田教会の歩みの中にあります。あるいは、過疎化の進む小さな農村や漁村で、あるいは時代の嵐が吹き荒れる都会で、あるいは震災の傷跡が残っている東北の各地で、或いは戦争の痛みを担い続けるウクライナやロシアで教会はなお、前を向いてその歩みを続けています。礼拝の灯を消すことなく、3人、2人、になっても礼拝を守り続けている群れがあります。経済性、効率性、対費用効果という、社会の尺度で測れば、教会がなお存在しているという事実は奇跡のようなものかもしれません。

カトリックの新約学者シュナッケンブルクは「新約聖書の教会」の中で「教会は全体として、完成、勝利、将来の至福に到達することは確実である。けれども地上特有の悩み、苦しみ、試みはまだ取り除かれていはいない。教会は約束の地の戸口に立っている。そして信仰をもって将来の栄光を眺め、特に礼拝の時その栄光のいくらかをすでに先験している。しかし教会はまずその地上の旅を最後まで歩み、道中の苦しみに耐えていかねばならないのである。」と言っています。


人の目には後退、減少、弱体化としか映らなくても、それでもなお、神の国は前へと前進しています。また、多くの伝道者たちが、大きく口を開けて呑み込もうとする闇の力に身を震わせながら、イエス・キリストにこそ救いがあると信じて、ひたすら福音を語り続けています。その戦いは少しでも気を抜けば、あっという間に闇にのみこまれるような熾烈な戦いの現実があります。どうぞ、牧師達のために祈って下さい。このような状況でもなお、神の国の完成に向けて、神の民の旅路は続きます。


それは、ボールを後ろに回しながら前に向かうラグビーのようなものです。ボールは思うようには転がらないし、前には投げられません。タックルを受ければ倒されますし、倒れると敵が折り重なってつぶされます。けれどもそれをまた次の選手が拾い上げ、受け取って再び走り出し、ボールを後ろに回しながら、全体として前へ前へとトライを目指して進んでいくラグビーと似ています。


地上を歩む私たち上田教会も、様々な困難に直面し、倒され、つぶされ、奪われながらも前に進んでいるのではないでしょうか?時として後退しているように思いながらも、それでもラグビーのボールのように、手から手へ確実に受け渡されて、全体として神の国の完成に向かって前へ進んでいる。後退しているように見えても前へ向かっている。神様の目にはそのように映っていると信じます。

 

 60周年を迎える上田教会の祝福のためにお祈り致しましょう。


*1 ルカの福音書 12章31,32節

12:31 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。

12:32 小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。

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