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教会総会に向けて①


2023年1月22日 メッセージ要約

エペソ人への手紙1章15~23節  *1

来週は教会総会です。総会の時期は年頭のおことばを離れて「教会」について神様の導きを仰ぎます。「教会」と言えば、皆さんは一番初めに何をお考えになるでしょうか?交わりの場所、礼拝する場所、あるいは、役員会、伝道委員会、CS委員会、会堂委員会・・組織で運営されている等々、いくつか挙げることができます。2022年8月18日の祈祷会で福井先生がエペソ書1章を開いてくださいました。


「教会」のことを次のように語っておられます。

「教会とは、原語のギリシャ語では『エクレシヤ』と言います。それは『召された者の集まり・群』という意味です。それでは、召した者はだれかといいますと、それは神ご自身です。では召されたのはだれかといいますと、それには条件があります。自分がいかに罪深い者であるかを知って(これを認罪と言います)、悔い改め、神様がこの世に遣わしてくださったイエス・キリストが私の罪の身代わりとなって死んでくださった救い主であると信じ救われた者が、召し集められ、群れとなった。それが「エクレシヤ」と言われる「教会」なのです。それで「神の教会」ですが「キリストの教会」と言われ、キリストを信仰する者たちの集まり、群れなのです。上田キリスト教会もその意味です。」と語られました。


教会とは、神様ご自身が十字架によって罪を贖われた人々を召し出して、集められた共同体が教会です。私たちは、日曜日毎にクリスチャン同士会うことができる楽しみも大切ですが、イエス様によって召し出されたお互いだという認識がとても大切です。


今日のメッセージ題は「教会総会に向けて①」です。今日は教会のかしらである、イエス様とはどのようなお方かを確認させていただきたいと思います。そして、来週は召しだされた私たちとイエス様の関係、教会員としての使命、役割、お互いの関係に焦点を合わせ改めて「教会」について神様の導きを仰ぎます。


私たちを召してくださったイエス・キリストというお方はどのようなお方でしょうか?1章17節「神を知るための知恵と啓示の御霊を、

あなたがたに与えてくださいますように」とパウロが祈っています。


啓示とは何でしょうか?啓示とは「神が人間へ真理を示すこと」です。 人間では知ることが不可能な真理を神が直接人間に伝えることが啓示です。啓示には2つの方法があります。一つは「一般啓示」です。一般啓示とは神について自然を通して知ることのできる一般的真理のことです。詩篇19篇1~6節に一般啓示の内容が書かれています。つまり、自然界を通して神様の創造の御業を、目で見、臭いで感じ、体感することです。


そして、もう一つは「特別啓示」です。超自然を通して、神について知ることのできる特別な真理のことを言います。神がご自身を現すことに関して、最も重要なのは、特別啓示であるみことば「聖書」です。神は、聖書のそれぞれの著者の書き方の様式と特徴を用いながら、彼らが人類への神のメッセージを正しく記録するのを奇跡的に導かれました。神のことばは生きていて、力があります。(ヘブル書4章12節)聖書はすべて神の霊感によるもので、有益で、充分なものです。(第2テモテ3章16-17節)神はご自分に関する真理を書物という形で現わされました。なぜなら、口伝えの伝統がいかに不正確で信頼できないかよくご存知でした。神はまた、夢やまぼろしが誤解されることもあると知っておられました。神について、また神が人に何を期待されているか、神が私たちのためにされたこと等、人間が知るべきすべてのことを聖書の中に示そうと神は決められました。ですから、聖書を読むことは重要です。


私たちは「一般啓示」である自然と「特別啓示」の聖書によって、神様を知ることができます。さらに、知恵と啓示の御霊が私たちに与えられることで、イエス様がどのようなお方かを知ることができます。反対の言い方をすれば、知恵と啓示の御霊が与えられなければ、イエス様がどのようなお方かを理解できないことになります。


もし、多くの方々が理解しない教会であるならば、残念ながらその場は「ただのサークルの場」になります。そして「教会」とは名ばかりで「神様の臨在のない教会」になります。私たち1人、1人が「知恵と啓示の御霊を与えてください」と熱心に祈り求めることが重要です。


 エペソ書1章20、21節には、イエス様がどのようなお方かが記されています。ご一緒に読んでみましょう。

「すべての支配、権威、権力、主権の上に、また今の世だけではなく、次に来る世においてもとなえられるすべての名の上に置かれました。

 神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストをすべてのものの上に立つかしらとして・・・」です。天地創造から、聖書の歴史は始まっています。そして、新しい御世が開かれるまで、イエス様は、すべての権威を持っておられる方であると記されています。少しだけ「権威」について考えてみましょう。マタイの福音書8章5~10節です。百人隊長の「おことばを下さい」との信仰にイエス様が感激されている場面です。百人隊長はイエス様が「権威」を持っておられることを知っていました。


 イエス様が湖で嵐に遭った時、弟子たちは「死んでしまう」と叫びました。イエス様は起き上がって「波よ静まれ」とおっしゃると波が静まり嵐が止みました。


今週は10年に1度の寒波が襲来します。大雪が降るかもしれません。私も試しに「雪よ止まれ」と言ってみます。きっと、雪は降り積もっていきます。今度はもう少し大きな声で、さらに手を上げて、祈り心を持って、「雪よ。止まれ」と言ってみます。その間も、どんどん雪は降り積もります。言っている間に雪かきをする方が早いですね。何が足りないですか?信仰ですか?祈りですか?知識ですか?でも、例えば、皆さんに「すみません、雪かきをお願いします。」と私が言葉で話すならば、皆さんはきっと雪かきをしてくださるでしょう。

「雪かきをお願いします。」との私のことばに若干の権威があるかもしれません。けれども雪を、あるいは、10年に1度の寒波を追いやることは、私の言葉では無理です。どうしてですか?それは、「神の権威」を私は持っていないからです。


エペソ書1章20、21節をもう一度お読みします。全ての権威を持っておられるイエス様。そのイエス様を神様は教会に与えてくださいました。22節。私たち上田教会にもイエス様が与えられています。ですから、礼拝が始まる5分前、私たちは、すべての権威をもっておられるイエス様にまず集中したいと思います。

さらに、23節は飛躍します。教会はキリストのからだです、と。

私たちはキリストのからだの細胞、そして器官です。これは来週見ていきたいと思います。


今日は私たちの教会にすべての権威をもったイエス様が与えられえていることを覚えたいと思います。


*1 エペソ人への手紙 1章15~23節

1:15 こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、

1:16 あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。

1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。

1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

1:20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、

1:21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。

1:22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。

1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。


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