教会のはじまり


2022年6月5日 メッセージ要約

使徒の働き2章1~21節 *1

旧約聖書は父なる神様の働きが主に記されています。それはイスラエルの民に働かれた父なる神様の御業です。新約聖書では、イエス様の誕生されたクリスマス、そして十字架、復活。イエス様は十字架上で「完了した」とおっしゃられて、私たちの罪の贖い、きよめの業が完了します。


それを受けて、「ペンテコステ」、聖霊降臨です。イエス様の十字架の贖いの御業は「ペンテコステ」以降、全世界へ広がっていきます。


具体的に「ペンテコステ」とは何を意味しているのでしょうか?


旧約は父なる神が、モーセに与えた律法を守ることによって神様との関係が保たれます。創世記3章で人は神から遠く離れてしまいました。壊れた神様との関係を律法を守ることによって構築しようとします。


しかし、イスラエルの民は律法を守ることによって神様との関係を構築することは出来ませんでした。逆に律法に背き、偶像を造り、その偶像を拝み神様を悲しませる結果となりました。


新約の時代になり、イエス様が人として誕生します。十字架、復活を通して、律法を守ることによる神様との関係構築ではなく、信仰による救いが確立します。これは、イエス様の十字架の贖いをただ信じることによって、神様との関係が構築されるという、イエス様からの一方的な恵みによる救いです。


そして、さらに、ペンテコステは聖霊様の降臨です。律法を守る事から御子イエス様による十字架の贖い、復活。さらに、聖霊様の降臨へと神様の御業は進みます。


そして、今も聖霊様の臨在の時代が続いています。弟子たちにとって、イエス様という、神様の恵みが目に見える形でありました。ヨハネの福音書16章12節~19節。16節「・・しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなりますが・・」イエス様は目に見える存在であり、実際にイエス様の声を耳で聞いて教えを受け、奇跡の御業を見ることができました。そのイエス様は十字架によって処刑されてしまいました。しかし、復活されてよみがえり、天に上げられました。(使徒の働き1章9節)弟子たちの目にはイエス様の存在は見えなくなりました。


それから(使徒の働き2章2~4節)天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡り、また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めます。


イエス様の復活の後、ペテロは漁師に戻ろうとしました。福音を力強く語ることができなかったのです。しかし、聖霊様がペテロの霊に中に入り、ペテロは全く別人のようになり説教を始めます。そして、一度に3,000人が救われます。これは、ペテロの中に聖霊様が臨在された結果です。


 聖霊様の臨在は私たちにもあります。イエス様を告白する霊にはすべて、聖霊様が臨在されています。ガイオン夫人著の「短くて簡単な祈りの方法」の一文を紹介します。

 

次に、自分の内側深くにおられる神を信じる生きた信仰によって、感覚が外側をさまようのを抑制し、自分の内なる最深の部分に向かいます。そうするなら、多くの束縛から解放され、外側のものから遠く離され、神のみそば近くにもたらされます。神が見いだされるのは、私たちの最深の部分の中だけです。私たちの最深の部分は、神が住まわれる至聖所です。かつて主は、「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしはその人のところに来て、その人と共に住みます」(ヨハネによる福音書14章23節)と約束されました。また、かつて聖アウグスチヌスは、「私は、クリスチャン経験の初期において、内側よりも外側で主を見いだそうとしたために、多くの時間を失ってしまった」と後悔しています。


このようにまったく内側に向かうなら、神の臨在の感覚で満たされ、温められます。感覚は静まって、外側から中心に引き寄せられます。魂は、自分が読んだ真理のみことばによって、甘く静かに満たされます。それは読んだみことばを研究することではなく、読んだみことばで養われることです。それはみことばを研究して理性を疲れさせることではなく、愛情によって意志を力づけることです。愛情がこの状態に達したら(最初、これは難しく見えるかもしれませんが、これから述べるように、容易に達することができます)、愛情に休むことを許さなくてはなりません。それは、自分が味わったみことばを食べるためです。


例えとして、最高の御馳走の香りを楽しんでいる人を考えましょう。動くことをやめて御馳走を食べない限り、その人は養いを受けることができません。ですから、愛情を休ませて、自分が受けた幸いな食物を、恭しく、確信をもって食べなければなりません。この方法は絶対に必要であり、短期間のうちに魂を前進させるでしょう。


しかし、前に述べたように、祈りの主要な要素は神の臨在を見つめることです。私たちはさまよう感覚を呼び戻すよう勤勉に励む必要がありますが、神の臨在を見つめることこそ、外側の気を散らせるものに打ち勝つ、世界で最も簡単な方法です。さまよう感覚に直接戦いを挑むなら、かえってそれを掻き立てて、強めてしまいます。しかし、自分の内側に向かい、信仰によって神の臨在を見つめ、ひたすら静まるなら、さまよう感覚と直接戦ったわけではないのに、自分でも気づかないうちにこの戦いに勝利するでしょう。


外側にある問題・課題に私たちは悩みます。そして心の大半をその悩みで占めてしまいます。しかし、みことばに心を静かに向けて、聖霊様が私たちの霊のうちにいてくださることを認め、聖霊様に相談し、聖霊様に聴き、その御声に従い、聖霊様に委ねる信仰を強めていきましょう。聖霊様の臨在を感じましょう。


教会はここから始まりました。



*1 使徒の働き 2章1~21節

2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。

2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。

2:3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。

2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、

2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。

2:7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。

2:8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。

2:9 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、

2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、

2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」

2:12 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか」と言った。

2:13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける者たちもいた。

2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。

2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。

2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。

2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。

2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』

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