教会に栄光がありますように

2021年1月31日

エペソ人への手紙3章20節~4章16節


栄光とは輝かしい誉れです。ほめたたえられることです。

先週、上田西高校が初めての選抜出場を果たしました。今から、試合が日曜日にあたらなければ良いなと思います。上田市の誉れです。

私も嬉しくなります。教会に栄光があるようにとは、教会は天的にも、地上でも、ほめたたえられる存在です。あるいは教会に集っておられる、一人、一人が天において、地においてほめたたえられる教会です。

今、コロナ禍の中にあって、動画配信で礼拝を守っておられる方がおられます。動画配信を見ておられるその場所も実は、教会です。エペソ書1章22節にはキリストを教会に与えられました、と記されています。つまり、一人でも、二人でも、あるいは家族であっても、イエス様を信じている人が集まるならば、その場所は素晴らしい教会になります。

また、123には、教会はキリストのからだであり、すべてのものを満たす方が満ちておられるところです、と記されています。教会にはイエス様が聖霊様が父なる神様が満ちておられます。

旧約聖書のエゼキエルの時代、今から、約2500年前、バビロンがエルサレムに包囲されます。そして、悲しいことに神殿はバビロンによって、破壊され、エゼキエルはユダの人たちと一緒にバビロンへ連れて行かれます。敵国、バビロンでエゼキエルは預言します。しかし、その予言はほとんどが象徴的な言葉で語られています。迫害・弾圧の中、物事をはっきり悟られない方法で書かれています。中には、エルサレムには神殿があり、神が共にいてくださるので、絶対に陥落しないという熱狂的な信仰も多くありました。しかし、その信仰は見事に、裏切られます。エゼキエルの時代、神殿は放置され、痛めつけられたエルサレムに復興があるのだろうかと涙に暮れていた、エゼキエルに神様は語ります。「主はそこにおられる」と。これが、エゼキエル書の最後のおことばです。「主はそこにおられる」です。

エゼキエル書43章5節には「霊が私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。なんと、主の栄光が神殿に満ちていた。」とあります。これはエゼキエルが見た幻です。

教会は礼拝の人数が多いか少ないか、あるいは、会堂が大きいか小さいか、は全く関係がありません。教会が教会であるゆえんは、「主の栄光が満ち、主の臨在を、私たちが仰ぐことができているか」ではないでしょうか。

教会の中に、一人でも二人でも、自分の知恵や力に拠らず、神の祝福を頼って生きている人がいる時に、「主はそこにおられる」とのおことばが成就します。その時、信仰の恵みの祝福が大きな力となって現れてきます。神様の力は無限大です。1無限大でも、100無限大でも、10000無限大でも、皆同じ無限大です。

要は「主がそこにおられる」かどうかです。主の栄光が満ちているかどうかが、鍵です。モーセが幕屋を完成させたとき、あまりにも主の栄光が強くて入れなかったという記事があります。「‥雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕に入ることができなかった。・・」主エジプト記403435

では、どのようすれば、「主はそこにおられる」という教会に成長していくでしょうか。総会資料を皆さん、ご覧になりましたか。一番注目されるのは、会計と教勢です。どのくらい献金があるか。何人受洗者があったかですね。コロナ禍で、7分の1程度会計は落ちていま

す。それでも、私はすごいなと、今年も思います。教勢は伸びているのか、減少しているのか分かりませんが、3人受洗者が与えられました。上田教会はいつも、受洗者が与えられる。神様の恵みが豊かな教会であることを実感しています。しかし、財政的にも教勢的にも優等生であっても、万が一、信仰が建てあがっていないならば、それは、実は空振り三振と同じです。試合に勝っても、実は負けているのと同じです。

どういうことでしょうか。

私は高校でソフトボールをしていました。無名の弱小チームです。隣にインターハイに何度も優勝している強豪校がありました。何回も、何回も練習試合を申し込んでも受けてくれない。相手にされませんでした。しかし、公式戦で、そのチームと対戦して12で負けました。

これは奇跡です。私たちは負けて、嬉しく、相手は勝ったのに、監督に叱られていました。高校3年間、みんなでここまで頑張ってきた。思い切って一生懸命に王者に向かっていこうという気持ちと、どうせ、3流チームに負けるわけがないとの、油断した気持ちとの差に不思議が起こります。王者が3流チームに負けるかもしれないとの、焦りがミスを生み、私たちは1点取ることが出来ました。

私たちは、本当に謙遜になって、日ごとにみことばを読み、みことばをとらえ、神様は本当におられる、ことを実感されている人が、一人、また、一人礼拝に集うならば、本当の意味で「主はそこにおられる」とのおことばが成就し、神様が働いてくださる教会に益々成長していきます。「教会に神の栄光がありますように」とお祈りいたしましょう。

今年は対面式での総会を持つことができませんでした。しかし、お一人、お一人がどうぞ、「上田教会に神の栄光が満ちますように」と祈りながら、総会資料をご覧になりますようにお願いいたします。

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