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教会にあるすべての人々へ

2021年3月14日

ヨハネの手紙第Ⅰ 2 章 7 1 1 節


ここで、ヨハネは子どもたち、父たち、若者たちと呼びかけます。

こども、父たち、若者たちとは年代的に人々を呼んでいるとも取れますし、信仰を持って間もない人を子どもたち、また、ある程度年数がたっている人を若者たち、また、熟練した信仰を持っている教父たちを父たちと呼んでいるとも取れます。

12 節、子どもたち、あなたがたの罪が赦されたからです、13節、父たち、神様をとらえ、実際的に知るようになったからです。若者たち、信仰の闘いを勇敢に戦っているからです。

また、14 節、幼子たち、罪がゆるされて、神様を知るようになった。

父たち、創造主でおられる父なる神を知るようになった。つまり、さらに深い意味でしるようになった。そして、若者たち、信仰の闘いを制して、神のことばが心に留まるようになったから・・とそれぞれの信仰の段階に応じてヨハネが教会にいる人々に語りかけているように聞こえます。こどもたち、父たち、若者たちとは、教会にいるすべての人々の総称です。つまり、私たち 1 人、 1 人にもヨハネ先生が語ってくださっています。何を語っておられるのでしょうか。

それは、15 17 節です。「あなたは」との語りかけがあります。 内容は唯一つです。「世にあるものを愛してはいけません」です。それでは、世とは何でしょうか。 16 節「肉の欲」「目の欲」「暮らし向きの自慢」です。

創世記 3 章の 1 ~7節をご覧ください。その中で、6節、「そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく・・」とあります。目に慕わしい「目の欲」5節「それを食べるその時、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを・・」ガラテヤ書5章 16 21 節まで肉のわざが書かれています。淫らな行いから遊興まであります。しかし、これらは実は、肉の欲の枝葉の部分です。肉の欲の一番の中心、最

も怖いものは創世記 5 節です。「あなたが神のようになって」です。ここから、すべての肉の欲が生まれてきます。イザヤ書14 12 15 節です。


ヨハネが言っている「世」とは、クリスチャン以外の人々や形成されている社会ではありません。私たちはむしろ、神様を知らない人々に近づき、寄り添い、神様の愛を伝え、「世」の力に苦しんでいる 人々を助けるお手伝いをしたいと願っています。

「世」とは、「自分を神とする高ぶり」のことです。

今は「レント」の期間です。私たちの罪のために、イエス様が十字架に掛かってくださったことを思いめぐらす期間です。小さな女の子が草取りをしてくれました。その女の子が「根っこから草を抜いたわ」と満足そうです。そして、庭がとてもきれいになりました。私たちも自分の罪を絶つことは、意識的な一歩が必要です。

ダビデはこう祈りました。「神よ、私を探り、私の心を知ってください。・・私のうちに傷ついた道があるか、ないかを 見て私 をとこしえの道に導いてください」と。レントの期間、私も含めて、皆さんも心に神様に対する「高ぶり」がないか、どうか点検したいと思います。

「主よ、あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私がすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。」「そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びも尽きません。」


神様は私たち1人、1 人をよくよくご存知です。「神様に対する高ぶり」がこっそりやってきて、私たちの心に巣を作ってしまうことがあります。何か、問題が起こっている時、私たちはまず、点検したいと思います。「神様に対する高ぶり」がないか、どうかです。もし、気がついたなら、すぐに十字架に行きましょう。イエス様はとてもやさしお方ですから、 すぐに私たちの心を癒してくださいます。そして、イエス様の十字架に感謝しましょう。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主がなたの進むべき道をまっすぐにされる。自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。それは、あなたのからだに癒しとなり、あなたの骨に潤いとなる。」 箴言 35「子どもたち。私があなたがたに書いているのは、イエスの名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。」ヨハネの手紙Ⅰ2 12

イエス様の十字架に感謝のお祈りをお捧げしましょう。

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