我は教会を信ず


2022年9月18日 メッセージ要約

エペソ人への手紙 1章1節~10節 *1

 礼拝の中で毎回告白しています、使徒信条の中に聖なる公同の教会を信ずという言葉が入っています。簡単に言いますならば「我は教会を信ず」です。

 

 使徒信条は300年から400年の間(日本は古墳時代)にイエス様はどのようなお方か?の会議を重ねて、イエス様を信じようとする人に向けて、きちんとした協議を重ねて、言葉を選び、ローマ教会の古来の洗礼式の信条となったのが使徒信条です。ですから、使徒信条は約1700年の歴史があります。


その内容は、全能の父なる神のこと、イエス様のこと、聖霊様のこと、さらに教会のこと、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命のことが記されています。そのなかにある「公同の教会」とはイエス様を中心とする全世界のすべての教会のことです。

 

 父なる神様、イエス様、聖霊様と同等に「教会とは信ずるべきもの」です。しかし、それは神様以上に地上の教会を絶対視するものではありません。教会の歴史を振り返ってみれば、様々な失敗があり、過ちがあり、さらに罪もありました。日本の教会にとっては、戦時下の天皇崇拝、神社参拝、アジア侵略戦争への加担の罪がありました。それに対して私たちの先輩である、ホーリネス系の教会は徹底的に反抗して信仰を守り通し、大きな迫害を受け、中には殉教した牧師も多くいました。その中で私たちの教団は蔦田二雄先生に与えられた幻によって創設されました。


一方で、現在でも人の集まりである教会にはいろいろなことがあります。意見の相違、対人関係の問題、主張の違いから教会を去る人もいます。にもかかわらず、このような過ちの多い教会を、それでもなお信じる、信じ続ける理由があります。それは、なんでしょうか?


 私たちは代々の教会と共に「我は聖なる公同の教会を信ず」と告白し続けてきました。これは非常に重い告白です。これらの信条を出した古代の教会は、単なる名目として、あるいは理想として,抽象的な

アイディアとしてこの告白にしたわけではありません。古代の人々は教会を建てるために心血を注ぎ、いのちを削り、苦闘しました。 教会を「理想」と「現実」に二元化することなく、「建て前」と「本音」を使い分けることをせずに、「三位一体の神」のみわざの現れと受け止めて「教会を信ず」と告白してきました。


エペソ書、1章4節には「世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」とあります。私たちは世界の基の以前に神様の計画にしっかり入っている貴重な一人、一人です。


さらに、9,10節「みこころの奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。」とあります。ですから、教会は天にある教会と地にある教会がイエス様にあって一つとなります。


 さらに、すべての権威をもっておられるイエス様をかしらとして教会に与えてくださいました。(22節)ゆえに教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たすイエス様が満ちている場所です。(23節)


イエス様は私たちを捜し求め、見つけ出し、招き入れ、迎えてくださいます。私たちはみな、父なる神様に愛され、イエス様のいのちに生かされ、聖霊様の励ましと慰めの中で生かされています。イエス様が私たち1人、1人の名前を呼んでくださり、この教会に招いてくださいました。だれ、1人が欠けてもイエス様のからだである、教会は立ち上がることが出来ません。かしらなるイエス様に結び合わされ、あなたが教会であり、私が教会です。


 私の最初の教会は日本イエス・キリスト教団の宇都宮共同教会です。そこで紙芝居を見ました。お菓子をもらいました。教会に行くと皆さんが喜んでくれました。その後、インマヌエル宇都宮教会、聖宣神学院教会、北は十和田教会から、西は山口教会、までいくつかの教会に短期間集わせていただきました。どの教会も共通していることは、イエス様のことが語られていること、温かい場所である事、また、様々な年齢、職業、立場の方がおられます。喜びもたくさんあり、傷つくことも多くあります。不思議と伝道者に導かれましたが、たとえ、伝道者に導かれなかったとしても「教会」は私の人生にとって最も主要な部分になっていたと思います。


 それは、教会に行けば「神様」と「人」に会えます。コロナ禍は教会に大きな影響を与えます。集まることの大切さを身に染みて痛感させられます。何故でしょうか?「みんなで」「神様の前に出る」ことが出来ないからです。


この難局を一つになって、イエス様を中心とした上田教会を皆さんお一人、お一人が形つくっていただきたいと思います。


*1 エペソ人への手紙 1章1節~10節

1:1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。

1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。

1:6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

1:7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。

1:8 この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、

1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、

1:10 時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。

最新記事