御霊に導かれるクリスマス
2022年12月11日 メッセージ要約
ルカの福音書2章1~15節
今年はとても恵み深いクリスマスです。先週はマリアの待ち望むクリスマスをお話ししました。マリアは背景にある多くの苦しみを乗り越えてイエス様を身ごもる信仰の決断をしました。そして、先週の祈祷会では、そのマリアを迎えるヨセフの悩みと信仰の決断を福井先生がお話ししてくださいました。クリスマスはイエス様が私たちの罪のためにお生まれ下さった、歴史史上最も素晴らしい出来事ですがその背後にある人の試練と信仰に支えられていることを学びます。
皆さん、どうぞ、祈祷会にも参加してくださってこの恵みシリーズに預かってください。
きょうは、さらに素晴らしいクリスマスの登場人物、東方の博士たちです。ユダヤの東方から博士たちはやってきました。「東」としか記されていません。詳しい場所は不明ですが現在のイランあたりから来たのではないかと言われています。さらに、星を占う占星術師でもありました。その占いから「イエス・キリストの誕生」がでてきます。さらに、イエス様誕生の星の出現の時間、その大きさ、時刻、方角も計算されたと思います。占星術から出た王様は「全世界の人が長きにわたって崇める王」とでました。1代、2代で終わるのではなく、世々限りなく続く王でした。この王の誕生を配するために、星を頼りに博士たちはやってきます。そして、当時のユダの王であるヘロデに謁見しています。
つまり長い旅をする経済力があり、そして、占星術をしていた当時のエリートであり、また、ヘロデ王に謁見できる地位もありました。ただの旅人は王には謁見できない時代です。
博士が出てくる映画の場面を見ましたが、彼らは国を出発する時、仲間割れをしていました。「本当に、そんなことを信じているのか?」「そのために、どれだけのお金がいると思うのか?」「そんな危ない旅には行かないぞ」という博士がいました。実際にもそのような会話があったのではないかと推察します。イエス様の誕生は、はっきりとした根拠のない「占い」だからです。信じていない博士もいたでしょう。
「占い」について、聖書はきちんと記しています。申命記18章9~13節です。ですから、私たちは占いをしません。私は信仰を持つ以前に、手相を見てもらいました。その時、言われたことは、「あなたは一生懸命に努力すれば、今よりいい生活が出来ます。頑張って。」でした。私は「よし、一生懸命に勉強しよう」と思いました。当時は。
でも、誰でも一生懸命に努力すれば何かを達成できるのではないでしょうか?これは、当たり前のことだと今なら分かります。しかし、どうして人は占いをしたがるのでしょうか?未来等、自分の知らない世界を見たいのです。マタイの福音書6章には「明日のことは明日が心配します。苦労はその日、その日に十分あります。」と書いてあります。聖書が言っていることは「今」を精一杯に生きなさい。明日はイエス様が守って下さいます。
しかし、神様は霊的な存在ですから、必要であるなら、夢を通して、あるいは占いを通して導かれるお方です。ヨセフは夢によって、御使いからの語りかけを受けました。博士たちも占いを通して、神様が導かれました。(私たちはそれでも安易に占いはしません。占いは悪霊をも働く場所になります。)
ラクダの旅は苦しかったでしょう。長時間ラクダに乗っていること、その日、その日で宿も探したのではないでしょうか?寒さに凍えたかもしれません。砂漠も通過したでしょう。それでも、彼らの「全世界の人が長きにわたって拝する王」を捜す旅を止めることはありませんでした。異教の博士たちがどうしてそこまで、イエス様を拝したかったのでしょうか?ロマンでしょうか?自己実現でしょうか?占星術が本当であるのかを知りたかったのでしょうか?現在で言いうお宝さがしでしょうか?一獲千金でしょうか?そうではありません。
2章の2節をご覧ください。「‥その方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」「礼拝するために来ました」英語の訳の聖書を見ますと、「worship」ということばが使われています。これは崇拝するという意味です。永遠の王を崇拝するために来たと彼らは言っています。どうして、イエス様のことが占いで分かったのか?皆さん、どう考えますか?手相を見る人が、あなたはイエス様を信じなさいと言っているようなものです。そんなことがあるでしょうか?
イエス様がお生まれになる約600年前のBC586年イスラエルはバビロンによって滅ぼされます。さらに、バビロンはペルシャによって滅ぼされます。BC539年です。そしてここから約200年イスラエルはペルシャの支配下になります。つまり、旧約聖書の感化を大きく受けています。そのことを博士たちは学んでいた、さらに、預言と占星術がピッタリ合ったのではないかと・・これは、私の推測ですが・・
そして、いつも旧約聖書に触れ、イエス・キリストの誕生、預言に触れていくうちに神様をどこかで自然に信じた。イスラエルを救うお方、いや、全世界を救う救い主であると信じたのではないでしょうか?つまり、聖霊様が博士たちを導いたと言えるのではないでしょうか?でなければ、「礼拝するために・・」という言葉は出てきません。
さらに、11節。ひれ伏して礼拝した。そして、黄金、没薬、乳香を捧げました。全世界の「王」であり、主権を持っているお方が持つのにふさわしいのが、黄金です。さらに、乳香は神殿の祈りの時に使われた香です。とても高価なものでした。つまり崇めるお方、「救い主」です。そして、没薬は死者の身体に防腐剤として塗られるものです。つまり「死」を意味しています。
「王」「救い主」「死」です。イエス様にピッタリのお捧げものです。
イエス様の誕生を調べるうちに、心に愛、喜び、平安、善意、誠実、柔和、自制の実が博士たちの心に宿ったのではないでしょうか?つまり、御霊にすべて導かれていた。もちろん、そんなことはばかげていると信じない博士もいたでしょう。旅に出る博士を冷たい目で見送った博士もいたでしょう。さらに、実際の旅は困難極まりのない旅でした。でも、心に宿っている平安、イエス様に一目お会いしたいという情熱、は人の偏見、蔑みを大きく上回る物でした。
けれども、旅の途中でもう止めたい、とくじけそうになったかもしれません。しかし、星がいつも彼らを導きます。2節、9節、10節に記されています。2節は「星が昇るのを見た」9節には「かつて昇るのを見たあの星が彼らの先に立って進み」10節「彼らはその星を見てこの上もなく喜んだ」とあります。星を見、その星が先に立って進み、その星を見て喜んだ、です。
私たち、クリスチャンとしての旅路も困難が多いかもしれません。しかし、私たちの霊に聖霊様が宿っておられることを認め、私たちを最善の道に導いて下さると信じ、人知をはるかに超えた喜び、試練の時も無くならい喜び、一度この喜びを経験したら、止められない喜びをもって旅を続けましょう。
さらに、星は博士たちを導きます。12節、夢でヘロデのところに戻らないようにと。彼らは別の道で帰途につきます。そして、この別の道とは来た道とは違うという意味です。イエス様にお会いし、今度は本当の信仰をいただいて帰途に着いた道です。今までは、ボンヤリとしていた信仰がはっきりとして喜びの道を帰っていったのではないで
しょうか?
私たちも聖霊様に導かれて喜んで旅を続けましょう。
*1 ルカの福音書2章1~15章
2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
2:15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
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