top of page

弱さを誇る?


2023年4月16日 メッセージ要約

 コリント人への手紙Ⅱ 12章7~10章 *1

「弱さを誇る?」

イースターを恵みの内に超えさせていただきました。現会堂での礼拝は今日を含めて3回です。来週は川村和臣先生をお招きしての特別礼拝とサンポー伝道会を行います。お祈り致しましょう。

 

 コリント人への手紙第Ⅱは神様の慰めが強調されています。しかし、10章から12章13節までパウロに反対する人たちのパウロの弁明が記されています。この中にはパウロの素晴らしい経歴と困難、信仰の姿勢が記されています。


12章に入り不思議な神にあって不思議な経験をしたことが記されています。そして、この個所には「誇る」ということばが沢山出てきます。5,6,9,です。何を誇っているでしょうか?


5節「パラダイスに引き上げられた人のこと」「弱さを誇る」

6節「自分が誇ることについて」

9節「自分の弱さを誇る」


「誇り」とは自分に関する物事について名誉に感じる気持ち。もしくは、優れていると感じて自慢げにしている様子・・です。

よく、皆さんのお家に招かれていきますと、立派な賞状があります。それは、名誉であり、賜物です。しかし、パウロは「弱さを誇る」つまり、「弱さが名誉」だと言っています。弱さとは、不安や傷つきやすさ、もろさ、ズルさ、臆病、怠惰などの“できれば直視したくない面”のことです。つまり、人前に出すことを躊躇するものです。パウロには身体的なとげがありました。具体的なことは記されていませんが、「3度、去らせてください」と祈っていますから、相当参っていたのではないでしょうか?


「しかし、主はそれでいい。わたしの恵みはあなたに十分だ」とおっしゃいます。皆さんはこれさえなければ・・わたしは幸せなのに・・と思うことがありますか?問題・課題・身体的な悩み、人間関係・等々。これさえなければ・・。


牧師として皆さんのそのようなお話を伺う機会が多くあります。最近は牧師間でも「○○さえなければ・・」という声を多く聞きます。大変な時代に入っていると感じます。


私はこれさえなければ・・というこれに沢山のものが入ります。


あるとにキャンでの出来事です。若いボランティアの人たちに、キャンプディレクターが「明日までにゲームで使うボールを1,000個作って欲しい」とお願いしている場面に遭遇しました。明日までに1000個です。そして、それをお願いした時間は夕方であったと思います。私はその夜ぐっすり寝てしまいましたが、彼らは1000個ボールを作りました。そして、そのことの証しの中に「私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです」とありました。


私は、何か違和感を覚えました。ほとんど寝ずに作業したのに、もっと拍手されてもいいのではないだろうか?と。思いました。


また、ある牧師が数年前に「私は自分の弱さを誇ります」という証しをされました。とても立派な牧師で、私はちょっと違和感を感じました。過小評価しているのではないだろうか?


そして、パウロも「自分の弱さを誇る」と言っています。素晴らしい経験をしているのにも関わらずです。「弱さは名誉」だと言います。


「弱さは名誉である」その理由は9節です。「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」との主のおことばです。弱さは、表に出すものではありません。まして、人前には出せません。できれば人目につかないように隠しておきたいものです。しかし、その中に神様の力が完全に現れると言っています。

私もようやく、「弱さ」に直面しました。それまでは自分の力で出来ていました。宇都宮でも、神学院でも、よく「傲慢にならないようにね」「傲慢に注意しなさい」と言われました。自分の頑張りが正当に評価されていない、あるいは評価してはいけないという違和感を心の奥深くで感じていました。


でも、最近、はっきりしたことは弱さの中に働く神様の力です。自分の力で何とかなる、と思う時は神様を求めません。で求めなくてもある程度のことができるからです。


しかし、ようやく「神様」と叫ぶことが多くなりました。自分の努力や工夫ではどうにもならない。いや、却っておかしくなってしまうのです。


叫ぶしかないときこそ、神様の出番です。弱さの中に神様の完全な力が現れる。「完全に現れる」のです。今日はこのことだけ覚えてください。


皆さんが何年もたたかっておられる問題がありますか?苦しんでいることがありますか?これはどうしようもないと思っている出来事がありますか?神様がその中にわたしの力が完全に現れる。と


國光ひろ子先生が末期の癌でもうこれ以上薬がないと言われたそうです。しかし、祈って、祈って多くの人に祈っていただいて、さらに、聖書の中での癒しの記事ばかりを読んでいた。すると全く癒された、そうです。


私たちは病気で食事が作れない時。お母さんが飛んできて食事を作って下さるでしょう。弱いなら食事は食べられない。でも、弱くてもお母さんが作ってくだされば、私たちは食事ができます。


叫ぶしかない時。叫びましょう。信じて叫びましょう。神様の御業はすぐそこにあります。


*1 コリント人への手紙Ⅱ 12章7~10章

12:7 また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。

12:8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。

12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

最新記事
アーカイブ
bottom of page