世々限りなく生きている


2022年10月2日 メッセージ要約

ヨハネの黙示録 1章17~20節 *1 

ハネの黙示録は、イエス様の弟子のヨハネが書きました。キリスト教が異端の宗教として弾圧されていたローマ時代・紀元94年ドミティアヌス帝によりイエス・キリストの愛弟子であったヨハネもこのパトモス島に流刑となりました。その後島の洞窟に身を置いたヨハネは、あるとき神の啓示を受け、弟子とともに『黙示録』を著したといわれます。それが「ヨハネの黙示録」です。



黙示とは

① 暗黙のうちに意志を表示すること。はっきり言わないで、間接的に意志を示すこと。

② 隠された真理を開示すること。特に、ユダヤ教とキリスト教で、人がその才能や知識では測り知ることのできないことを、神が特別の方法により、人に示すこと、です。


迫害下の苦しい時代にヨハネは老年になり流刑となり、多くの親しい人から離されて寂しく過ごしていたヨハネにイエス様が現れます。それが、ヨハネの黙示録です。1章1節「イエス・キリストの黙示。」です。イエス様は使徒の働き1章の3~8節の後、使徒たちが見ている間に天に上げられます。それから約50年後、パトモス島に流されたヨハネに語られます。


① わたしはアルファでありオメガである。(8節)

② あなたが見たことを巻物に記して、7つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ぺルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキヤに送りなさい。(11節)

③ 恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。それゆえ、あなたが見たこと、今あること、この後に起ころうとしていることを書き記せ・・(17節)


イエス様が黙示録で述べていることは、「最初であり、最後である。

死んだが生きている者である。この後に起ころうとしていることを書き記せ」です。このイエス様のおことばは私たちに何を示しているのでしょうか?それは、イエス様は時間を超越して永遠に存在しておられる創造主ですが、私たちは有限な存在です。つまり、永遠には存在できない、いつまでも生きていられない存在であることを心に留めなさいとのメッセージです。また、一方では、クリスチャンは死で終わるだけではなく、イエス様と世々限りなく生きる存在です。


黙示録は22章まであります。難しくてさっぱり、何が書いてあるのか、何を表現しているのか、どんな意味付けがあるのか?そんなことを考えながら読むとさらに分からなくなります。神学院で黙示録のクラスがありました。私は楽しみでした。黙示録の意味が分かると期待していました。しかし、担当の先生がどんな意味があるのか?と考えるのではなくて、書いてある事をそのまま受け入れなさいとおっしゃいました。読んでみますと分からないのです。でも、分からなくて良いのだと思います。イエス様は最初であり、最後である。つまり、無限の神です。私たちが知ることが出来な世界をよく知っているお方です。


今日は召天者記念礼拝です。イエス様を信じて天に帰られた方々を覚え記念する日です。今年の2022年3月7日は寺町岩子姉が天に召されました。2021年4月7日に上野宏樹兄、2020年5月6日に加藤久子姉が召されました。若い方々が天に召されて大きな悲しみを通過しました。しかし、3人の方々はそれぞれの信仰を全うされて、イエス様を信じて天国に行かれました。もしかすると、私たちの家族の中にははっきりとした反応がなかった方もおられるかもしれません。しかし、無意識の中でイエス様を呼び求めて救われた方もいると信じています。


私たちはまだ、地上でイエス様から与えられた使命がありますから、生きています。しかし、天に帰られた方々はいったいどこに行かれたのでしょうか?私たちは確認することが出来ません。目で見ることも耳で聴くこともできません。けれども、私たちが天に帰ったならば、今天におられるお一人、お一人と会うという確信があると思います。その確信は一体どこからくるのでしょうか?


それが、「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。」です。世々限りなく生きている。とのイエス様のおことばです。もう一か所聖書を開きます。伝道者の書3章11節に「人の心に永遠を与えられた。」とあります。私たちは死後の世界を思うように神様が「永遠を思う心を与えてくださいました。」しかし、人には限界があるとも書かれています。全てを知ることが出来ないのです。


ですから、私たちは死後の世界を思います。そして、イエス様を信じて天国に行かれた人々と会うという確信があります。私たちはだれ一人、天国に行って様子を見てきた人はいません。しかし、その確信はどこから来るのでしょうか?


ヨハネの福音書3章16節。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ3:16です。

ここにも、「永遠」ということばが出てきます。今朝のメッセージは「世々限りなく生きている」とのイエス様のおことばです。私たちはイエス様を信じることによって、永遠がはっきりと心に映し出されます。そして、やがて天の御国に私たちも生き、そこにおられるお一人お一人と会うことが出来ます。


すると、私たちは永遠がはっきりと映し出される人生を歩みます。


1954年9月26日に台風15号(洞爺丸台風)により起こった、青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故です。死者・行方不明者あわせて1155人]に及ぶ、日本海難史上最悪の事故となりました。その時にカナダからの宣教師が洞爺丸に乗っていました。悲鳴の渦の中で逃げ惑う乗客に救命具を配り、着用に手間取る子供や女性たちを必死に助ました。また、自慢の手品で、パニックに陥った人々を和ませ、最後には、救命具のない学生を見つけ、「あなたの前途は長いから」といって救命具を譲り、宣教師は海の中に沈んでいきます。


私たちは永遠を知る時、このように生きることが出来ます。イエス様の十字架はそれを可能にします。その宣教師は今も天国で生きています。私たちもイエス様を信じて前進し、やがて天国での再会を待ち望みましょう。


*1 ヨハネの黙示録1章17~20節

1:17 それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、

1:18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。

1:19 そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。

1:20 わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。



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