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一切の秘訣なるキリスト


2023年2月5日 メッセージ要約

ピリピ人への手紙 4章1~13節  *1

私は若い頃京都に住んでいましたが、京都市内には教団の教会が3つあり、そのうちの一つが私の家の近くにありました。そのような関係でその教会の牧師と親しいお交わりをさせていただきました。その牧師がアメリカに留学され、その後アメリカの日系ホーリネス教団の牧師になられました。10数年前一時帰国されたとき、教団の牧師研修会に出席され20数年振りにお会いしました。そのとき私が、「先生、アメリカで学ばれてよかったですね。何を学ばれたのですか」とお尋ねしました。すると、先生は「多くの事を学んだけれども、何を学んだかよりも大切なのはキリストを知ること、それに尽きるよ」と言われました。そのとき、私はさらにキリストを知りたいとの熱い思いが起され、今もその思いで日々を過ごしています。

ところで、パウロは12節~13節で「私は、貧しくあることを知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです」と言っています。「私を強くしてくださる方」とは、「キリスト」を指していて、「キリストによって、私は一切のことに対応できます」という意味です。パウロは、このキリストこそは、クリスチャン生活の一切の秘訣であると語っています。そこで、「一切の秘訣なるキリスト」と題してお話ししてまいります。


第一 一致の秘訣

2節に「ユウオディヤに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは、主にあって同じ思いになってください」と言っています。教会はキリストのからだにたとえられています。もし体の中で手と足が意見を異にし、それぞれ違った動きをするとしたら、一つの体として生きていくことができません。

ユウオディヤとシンティケという二人の女性は、「福音のために私と一緒に戦った」(3)と言われるほど、日頃からパウロの良きパートナーでした。ところが熱心のあまり衝突することがありました。これはパウロにとって大きな心の痛みでした。ですから、何とか彼女たちが一つ思いになってほしいとパウロは願っていました。しかし、人間は生まれながらの自己主張があると、どうしても一つになることができません。そこでパウロは「あなたがたは、主にあって同じ思いになってください」(2)と勧めました。

ここで特にパウロが言いたかったことは、イエスさまは神であられるのにその位を捨てて人間の世界に来られた。しかも仕える僕となって来られ、私たちの救いのために十字架の死に至るまで従われたお方だということです。つまり、イエスさまが謙遜にへりくだられなければ、私たち人類の救いは実現できなかったということです。そのキリストの謙遜な心を私たちの心とするときに、どんな人の中にも長所を見出すことができ、一致できるのです。

そのとき、2章3節で「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい」(2:3)と言われているように生きることができます。つまり、自己中心であったり、見栄を張ったり、見下したりすることなく、謙遜になって、他の人を自分よりもすぐれた者と考える心で生きることができます。パウロはそのとき、家族や社会や教会でも一つになって歩むことができ、一致が与えられるとき、そこに聖霊が働かれるのです。


第二 喜びの秘訣


今年の教会のおことばは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい.すべてのことにおいて感謝しなさい」(テサロニケ第一5:16~18)ですが、4節で「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」と言っています。ここでも「いつも喜びなさい」と言っています。しかも「もう一度言います。喜びなさい」と言っています。クリスチャンの特色は、喜びをもっているということです。これは何も悲しいときにもへらへら笑っていることとは違います。「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています」(Ⅱコリント6:10)とパウロが言ったような喜びです。

ピリピ人への手紙では11回「喜べ」と繰り返されていますが、パウロが主にあるイエスさまと共に歩む中で経験した喜びは、普段味わう喜びとは違うことを強調したかったのだと思います。イエスさまと共にある喜び、主との交わりを大切にして生きるとき与えられる喜びはこの世が与えてくれる喜びとは違います。比べることができない喜びです。私たちが作り出すことのできない喜びです。

岡谷でご奉仕していたとき、一人の姉妹がご家族とご一緒に山形県の寒河江から岡谷に移って来られました。日本ホーリネス教団寒河江教会の会員でご主人は医者でこの方が救われたときのお話しです。

ある富豪の離れに結核のため家族から隔離されて住んでいた姉妹がおいでになりました。朝、その日の3食の食事が運ばれ、あとは誰とも話すことのない日々でした。当時、結核は恐ろしい死の病で、結核の人がいる家の前を通るときは家の前の道路の向こう側を通るほど恐れられていた病気です。一年に数度お医者様が往診に来てくださるのです。その度にその姉妹は「お医者様。私のお話を聞いてください」と訴えられるのです。しかし、お医者様は「このような女性のお話を聞いても何の価値があるのか」と無視しておられました。あるとき、白衣を掴んで「お医者様、ぜひ私の話を聞いてください」と懇願され、やむを得ずお聞きになりました。「お医者様、お医者様からご覧になると私は惨めにお見えになるでしょうね。でも私はとても幸せです。私はイエス・キリストを信じて救われたクリスチャンで、天国に行ける喜びがあるのです。」と顔を輝かせて話されたのです。そのとき、お医者様は「こんな惨めと思える状況の中で、幸せと喜びを与えるキリストとはどういう人なのだろうか」と思い教会を訪ねられ、やがて救われ、その奥さまもご家族も救われたのです。その後、教会を支える素晴らしいご家族となられました。

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この喜びを私たちは作りだすことはできませんが、キリストだけが与えてくださる喜びです。苦しい状況を通過している最中であっても、その魂の底にはその涙が打つ消すことのできない喜びをもつことができるのです。涙の中にも存在する喜びです。苦難の中にも存在する喜びです。それがキリストが与えてくださる喜びです。


第三 平安の秘訣

次にパウロは6節で「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」と言いました。私たちが生きている今ほど科学技術が発達して便利になり、医学も進歩して長生きできるようになり、経済も豊かな時代はありません。しかし、人々には、家庭の問題や仕事の心配ごと、格差の問題、健康の衰えと老境に向かう心配、老々介護の問題、金銭問題や、愛情の問題、いじめの問題が複雑に絡まって不安を感じ、思い煩う人々が多くいます。

人間は思い煩いやすい存在です。ある牧師が「思い煩いというのは、喜んで思い煩う人はいない。思い煩わされてしまうのです」と言われました。思い煩うとはそういうものだと思います。だからと言って、ただ思い煩うなと命令されて、「はい、分かりました」言って思い煩いから解放されるものではありません。

では思い煩いから解放されるためにどうすればいいのでしょうか。パウロは大きな問題であろうが小さい問題であろうが、見える問題であろうが見えない問題であろうが「感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」と勧めました。

音楽家のハイドンも一緒であった知名の人々の集まりで、「お互い、思い煩うことがあるがその時どうするか」と語り合っていました。ある人は、「一杯のワインを飲むと気分が晴れる」と言い、他の人は、「友達と団欒すると回復する」と言い、人それぞれが色々なことを言いました。その時、ハイドンは「わたしは、そうしたときには書斎に入って神に祈りをささげます。祈りほど力になり、喜びを満たし思い煩いから解放するものはありません」と言ったのです。

パウロは思い煩うことがあったら感謝をもって、全てをありのままをお話しし、全てを神に知ってもらうように祈りなさいと言いました。するとどうなると約束されているのでしょうか。それが7節です。「そうすれば、すべての理解を越えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」と。何事でも祈って、すべての理解を越えた平安が与えられる日々を送りましょう。

            

第四 一切の秘訣


ピリピの教会は、パウロが育てた教会です。そこでピリピの教会は献金を募り、エパフロデトを使者としてローマの獄中のパウロを訪ねさせました。それに対するパウロの感謝の手紙がピリピ人への手紙です。パウロはピリピ教会の主にある愛の好意に感謝すると同時に、獄中での証しをしています。パウロは「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました」(11)、つまり、「内なるキリストによって、どんな境遇でも満足できることを学んだ」と言っているのです。さらに、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです」(13)と言いました。「私を強くしてくださる方」とは「心のうちに住んでくださるキリスト」のことで、人生の一切の解決の秘訣は内に住んでくださるキリストにあると言いました。

コロナウイルスに感染する人も、死者も非常に多いイタリヤでの37歳の医師のお証しです。両親は敬虔なクリスチャンですが、彼は科学・医学の世界に生きていて、両親の信仰を無視し見下げていました。ところが、コロナウイルスのためすごく多忙な日々となりました。疲れ切ってなんのために働いているのか分からなくなり、自分の惨めさと弱さに気が付かされました。そのようなとき、老牧師が感染し入院して来ました。彼は重い症状の中で、「キリストが、わたしのうちに生きておらる」という内住の恵みに生かされていて、「生きておられる神を信じれば大丈夫」との愛のことばをもって周りの人を励まし続けやがて召されていったのです。その姿を見ていた37歳の医師は宗教としてのキリスト教ではなく、今、生きているおられる神を見出したのです。一切の秘訣であるキリスト、内住のキリストを見出したのです。このキリストに強くされ、瞬間、瞬間全力尽くして治療に当たっているということです。

私たちの人生には順調な時ばかりでなく、いろいろな試練、困難がやってくることがあるでしょう。しかし、私たちにはどのような状況にあっても解決の一切の秘訣があります。それは「私を強くしてくださる方による」のです。キリストは生きておられます。このキリストは共にいてくださり、内にいてくださいます。このキリストを愛し、信頼し、従ってゆけば大丈夫です。この朝、あらためてキリストを仰ぎ、信頼して1週間を始めましょう。



*1 ピリピ人への手紙 4章1~13節

4:1 そういうわけですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。どうか、このように主にあってしっかりと立ってください。私の愛する人たち。

4:2 ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください。

4:3 ほんとうに、真の協力者よ。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください。この人たちは、いのちの書に名のしるされているクレメンスや、そのほかの私の同労者たちとともに、福音を広めることで私に協力して戦ったのです。

4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。

4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。

4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。

4:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。

4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。

4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。


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