シンプルに信じよう

2021年1月3日

マルコの福音書5章35~43節


2021年のスタートを皆さんと一緒に切ることができる恵みを心から感謝しております。

 私たちの心には「恐れ」が絶えず隠れています。「恐れ」があることは決して不信仰なことではありません。「恐れ」には良いこともたくさんあります。例えば、危機管理の能力を「恐れ」は引き出します。例えば、年越しには「年越しそば」を食べます。神学院で、年越しそばを食べました。エビに沢山の切込みを入れて、エビを大きく見せてエビフライを揚げます。私は、揚げ物が苦手です。油がはねてやけどすることが怖いからです。揚げ物をすると、火傷をする可能性があります。ですから、火傷をしないためにいろいろ工夫をします。これが、危機管理です。しかし、この「恐れ」が強くなると、完璧に火傷をしない方法を考えます。それは、「揚げ物をしない」ことです。でも、エビフライが入った天ぷらそばを食べたいならば、「恐れ」を乗り越えなくてはいけません。

 人間関係も同じです。信頼していた関係性が崩れると、心に痛みを伴います。例えば、思春期の異性との関係もそうです。一度、心に痛手を負うと、好きな人が出来ても、以前の失敗の痛みの恐れから前進できなくなります。しかし、この「恐れ」を乗り越えなければ、好きな人と関係を築くことが出来ません。

 「恐れ」は危機管理には有効です。しかし、リスクを回避ばかりしていると欲しい物が手に入りにくくなります。そのような時、自分の心を正直に見ることは役に立ちます。今、自分は怖がっているな、と。しかし、恐れに向かっていく勇気が与えられる時、何かしらの変化が起こります。

 元旦礼拝では「恐れずに、ただ信じていなさい。」と「確信を持って」静かに語られるイエス様について行く決心をしました。では、「確信」しておられるイエス様をただ、信じていくだけで、恐れから完全に開放されるのでしょうか。


① ローマ人への手紙8章37節でパウロはこう言っています。「これらすべてにおいても・・・私たちは圧倒的な勝利者です。」と。一方でコリント人への手紙第Ⅱ11章24節にこうあります。むちで打たれたことが8回。遭難したことが3回。川の事故、盗賊に会い、誤解され、迫害され、だまされ、荒野、町で苦しんだとあります。ここから言えることは、圧倒的な勝利とは、苦労のない、安楽な生活を楽しめるという意味ではないことが分かります。 信じるとは、「恐れ」という感情がなくなるわけではなく、むしろ、確信を持っておられるイエス様を信じる時に、「恐れ」に直面できる、外からの力が与えられることです。


② 「恐れないで、ただ信じていなさい」という時、ヤイロの娘のように「死」からの完全な救いではないことが多いです。イエス様も十字架上で死に、パウロはローマで殉教します。ヤイロの娘も、この後、数年後は「死」を経験します。 しかし、「死」さえも、永遠のいのちから引き離すことができない神の恵みがあることを私たちは知っています。パウロは、このように信じました。「私はこう確信しています。死も、いのちも、み使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、ほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」ローマ8:38,39です。


 困難は山のように沢山あります。残念ながら、神様は私たちから「恐れ」という感情を取り除くことはなさいません。しかし、恐れに飲み込まれて、天ぷらそばを食べたいのに、揚げ物をしないという消極的な考えからは救ってくださいます。「恐れ」という感情を持ったまま、シンプルに信じましょう。「死も、いのちも、み使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」


最後に・・ 水野源三さんの詩です。シンプルに信じることを表現しています。 

主よなぜですか

「主よ何故ですか 父につづいて 母までも御国へ召されたのですか

なみだがあふれて 主よ 主よと ただ呼ぶだけでつぎの言葉が出てきません。

主よあなたも 私と一緒に 泣いてくださるのですか。」


一見シンプルには信じていないように感じます。シンプルに信じるとは「恐れ」の中で、神様を見上げて、答えのない問いを問い続けることではないかと思います。源三さんは大切なお母さんが天に召されても、神様に「何故ですか」と問います。問い続けます。こんなにつらいなら、信仰を辞めるとは言っていません。信じ続けているからこそ、苦しみの中「問い続けます」そして、その問いに神様は答えられます。兄弟のお嫁さんが今度はお母さんの代わりに源三さんの詩を世に送り出します。


「シンプルに信じる」とは、どんな状況の中に置かれても、私たちを離すことのない神様の愛を信じ、答えが出ない問いを、問い続けていくことです。そこから、神様は一筋の光をこの年、私たちに与えてくださいます。

その約束を信じるしるしとして聖餐式をいたしましょう。

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