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キリストのからだなる教会


2025年2月9日メッセージ

エペソ1:23、Ⅰコリント12:20~27*1   この1月26日(日)には教会総会を終え、「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」(出エジプト13:14)との2025年上田教会聖句のもとに信仰を新たにし、いのち豊かな教会を目指してスタートしました。

私は神学校で学んでいるときから「聖書的な教会」を建て上げていくことが大切だと考えていました。そのような思いを心に秘めながら神学校を卒業して4、5年経った頃、東京で牧会しておられる先輩の牧師が訪ねて来てくださり、語り合っているうちに話題が教会についての話になりました。その中で先生が「私は毎年2月の教会総会の前後1ヵ月間、礼拝メッセージは『教会』を主題にしています。」と話されました。そのとき神学校卒業以来心にあったことですが、私も教会のことを語ろうという思いが与えられました。それ以来、毎年教会総会前後1ヶ月2、3回は『教会』について語るようにしてきました。そのようなわけで今日は教会総会直後ですので「キリストのからだなる教会」と題してお話します。


第一 教会は召された者の集まり

 私たちが日本語で「教会」と言っていることばは、「エクレシヤ」というギリシャ語が訳されたものです。エクレシヤというのは「召された者の集まり」という意味です。その「召された者」とは「自分の罪を認めて、悔い改め、イエス・キリストが私の罪のために身代りとなって死んでくださった救い主と信じて救われた者」のことです。しかもイエスさまは十字架上で死なれよみがえり、今も生きていて聖霊によってともにいてくださり、うちに住んでくださるお方です。

このような理由で神の教会でありますがキリストの教会とも言われています。ですから、聖書の中で教会と言えば、「救い主イエス・キリストを信じて、罪から救われた人々が召し集められた」のが教会の第一の意味で建物のことではありません。

私たちはその召されたお互いですが、パウロがそれは神の選びによると言っています。聖書は「神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」(エペソ1:4)と言っています。また「母の胎にあるとき私を選び出し、恵みをもって召してくださった神」(ガラテヤ1:15)とも言っています。私たちは「世界の基が据えられる前から」、「母の胎にあるとき」から理由が見いだせない選びに与って救われたのです。

初陣の地の岡谷教会である姉妹が祈祷会のとき「この世には私よりも優れた立派な人が多くおられるのに私のような罪深い者を神さまは先に選んで救って下さり感謝します。」とお祈りされました。私はそのお祈りを聞いたとき「神さまのご計画のために役立つと思える人がこの世には多くおられるのに、私のような無能な者が選ばれて救われ、神の働きのため召されたこと」がどんなに素晴らしい恵みであるか悟らされ、神さまの愛の選びに胸を熱くしました。同時にその姉妹の溢れる喜びと感謝と希望に輝いた姿を日頃目の当たりにして謙遜を教えられました。

パウロはコリント人への手紙第一1章26節以下で選ばれ召された者について書いています。その最後の31節で「『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるためです。」と言っています。信仰生活で大切なことの一つは謙遜であることです。

東北の郡山で奉仕していたとき、他教団にとても尊敬する牧師がおいでになりました。市内の合同の祈祷会でのメッセージでこんなお証しをされました。高校の先生をしておられたのですが、結核にかかられ、須賀川という隣町の結核療養所に入院されました。その療養所に美人の女性の方が入院されていました。夏のある日亡くなられ数日後にお別れのためにお顔を見せてもらったそうです。暑さのため腐蝕していてとても正視できないお顔だったそうです。先生はおっしゃいました。「きよい神さまの前に出ることができないような罪と汚れに満ちた私を神さまは愛して選ばれて救われたのです。」と涙声で語られました。そのように選ばれるに値しない者が救われて召し集められたのが教会です。

しかもこの救いは地上だけのことではありません。イエス・キリストは再び来られる再臨の主でもあり、そのとき万物は更新され新天新地が実現し、私たちは栄光のからだに化えられ御国に永遠に神とともに住むことになります。パウロはその保証が聖霊によって与えられると言っています。「このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を継ぐことの保証です。」(エペソ1:13~14)。私たちはこのような救いの選びにあずかり、具体的には上田教会の一員とされたのです。このことをいつも自覚し心から感謝し喜びと希望を持って信仰生活、教会生活に励みたいと思います。

 

第二 性格の多様な教会

 そこで、聖書は教会をどういうものと見ているのかいう点からお話しします。

➀教会は「神の住まわれる」「神の宮」です。エペソ人への手紙2章に「このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(21~22)とあります。

東京のある教会の牧師が年賀状とともに週報を送ってくださいました。そこに「礼拝のこころえ」が3つ掲載されていました。*開会5分前には着席し、祈り心をもって、神さまとの交わりを待ち望みましょう。*入堂の際は主の臨在を覚えて黙礼し、私語は互いに慎みましょう。*礼拝後は互いに安否を問い合い交わり、祈りのときを持ちましょう。 

つまり教会は神の宮、神が臨在される場所であり、祈りの場所でもあるのです。(ルカ19:46)。私たちが主日礼拝をささげるとき「あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。」(ヨハネ1:26)のみことばを覚え礼拝5分前には私語を慎んで臨在の主を覚えて黙祷のうちに待ち望みましょう。

②教会は「神の家族」です。エペソへ人への手紙2章「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。」(19)。またガラテヤ人への手紙3章では「あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。」(26)と言っています。ですから救われたお互いは神を父として崇める神の家族なのです。

それで教会ではよく「〇〇兄弟」「○〇姉妹」という呼び方をします。それは血のつながった兄弟姉妹という意味ではありません。救われたお互いは神を父として崇める神の家族とされたので、キリストにあって信仰の兄弟姉妹なのです。それで血のつながりがなくても兄弟姉妹と呼び合うのです。

あるとき教会の祈祷会で一人の姉妹が証しされました。そのご家族はクリスチャンでしたが車で2時間位の所に住んでおられる実家の両親と姉妹のご兄弟はノンクリスチャンでした。「私はもちろん両親や兄弟を大切にしています。でも、霊的な恵みを分かち合ったり、信仰上の戦いや悩み、問題を話したりすることはありません。それを心のままに話せるのは教会です。もちろん家族と祈り合うということは全くありません。教会は本当に神の家族だと思いますし交わりは楽しいです。」と。(幸いなことにやがてそのご両親も救われました。)

兄弟姉妹の交わりは見えない結びつきですが、ある意味では他のどんな友人や、また実際の兄弟にも勝る不思議な強いつながりがそこにはあります。その中心に見えないキリストがおられるという、他に類を見ない交わりなのです。

③教会は「キリストのいのち」に生かされています。キリストはヨハネの福音書15章5節で「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしがその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」(5)と言われました。ぶどうの木の幹に枝がつながっています。また幹に枝がつながっていることによって枝がお互いにつながっています。幹はイエスさまであり、枝は救われたお互いです。ですからお互いは幹なるイエスさまにつながっていますし、お互い同士もイエスさまにあってつながっています。そして幹から枝に同じ樹液が流れているのですから、同じイエスさまのいのちに生かされているのです。

教会の聖餐式では、1つのパンを食し、1つの杯を分け合います。それはキリストの肉と血にあずかることを意味しています。ただキリストを信じ、キリストによって救われ、キリストのいのちを共有しているという1点で共通しているのです。私たちは聖餐式でキリストが十字架上で体をさかれ、血を流されたことによって救われたことを確認し感謝します。同時にお互いが同じいのちに生かされ、実を結ぶために一つであることを自覚し、イエスさまの来臨を待ち望むのです。ですから私たち一人ひとりが信仰によってイエスさまにしっかりつながってイエスさまのいのちに生きているのが教会です。 

④教会は夫婦にたとえられ「キリストの花嫁」と呼ばれています。そのことがエペソ人への手紙5章21節から32節に書かれています。31節で「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、二人は一体となるのです。」とあるように、結婚した夫婦とは愛による人格関係に入れられたものであり、親さへもその間に入れないのが夫婦です。そのように個々のクリスチャンは夫婦の関係のようにキリストと密接な愛の人格関係に入れられたのです。同時に32節では「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。」あります。つまり教会というのはキリストと愛の人格関係にあるということです。ですから信仰は個人的でありますが同時に教会につながる者として救われたのです。それで教会なしには健全な信仰生活を送ることができませんし、キリストに似た者に健全に成長することもできませんし、この世に対して救いの実現をはかることはできないのです。


第三 教会はキリストのからだ

 今まで聖書は教会をどういうものと見ているのかを4つの点から見てきました。さらにもう一つ「教会はキリストのからだ」として描かれています。

エペソ人への手紙1章22節、23節を開いてください。「キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」ですから教会はキリストのからだであり、そのキリストのからだである教会のかしらはキリストなのです。また私たちのからだが肉体のいのちで生かされているように、キリストのからだもキリストのいのちで生かされています。また私たちの肉のからだがその頭の命令に従うように、キリストのからだも教会のかしらであるキリストのみこころに従って生きています。

さらにコリント人への手紙第一の12章12節と27節を開いてください。12節では「ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つからだであるように、キリストもそれと同様です。」27節では「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です」人間のからだは頭や目や耳や口や手や足などいろいろな部分からできていますが、一つからだに属しています。そのように、キリストによって救われ召し集められた私たちはキリストのからだであり、私たち一人ひとりはそのキリストのからだの部分、部分なのです。それでキリストのからだである教会は、「一つからだである」という一体性と「多くの部分がある」という多様性とをあわせ持っています。

からだの部分、部分が違うようにキリストによって救われたお互いも、生まれも、性別も、育ちも、年齢も、家庭環境も、健康状態も、賜物も、この世の立場も全く違います。しかし、違う部分、部分が組み合わされ、キリストにあって一つとされ、キリストのからだである教会に属する者とされ、同じ父なる神を礼拝する神の家族の一員、主にある兄弟姉妹とされたのです。

また21、22節で「目が手に向って『あなたはいらない』と言うことはできないし、頭が足に向って『あなたがたはいらない』と言うこともできません。それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。」一人ひとり違うのですが、どのからだの部分、部分も必要であるように神に愛されている大切な存在です。役に立たない不必要と思われる人は一人もいませんし、各人与えられた賜物をもって神と教会に仕えるのです。

あるとき教区研修会で教会について学びました。そのときの100人程礼拝に出席している牧師の証しです。一人の寝たきりの姉妹がおられました。教会役員の兄弟姉妹が月一回くらい訪問され、牧師が数ヵ月に一回訪問されるのです。その姉妹は今のようにオンライで礼拝できる時代とは違いますからひとりで礼拝をささげ、週報をお読みになって祈る生活でした。牧師が訪問されると、先生のお働きや他の教会でのご奉仕を含めてお聞きになります。教会のご様子や兄弟姉妹のご病気や知らされている出来事の様子もお聞きになります。毎週の礼拝献金も含めて献金も献げられます。そのような姉妹を訪問された牧師も教会役員も霊的に励まされ恵みをいただいて帰って来られるというのです。ですから一人ひとりは皆大切な教会員であり、不必要な兄弟姉妹は一人もいなくて全員が必要なのです。

上田教会の今年の教会総会資料には「奉仕係」が掲載されています。尊いご奉仕を心から感謝しています。その奉仕について、ローマ人への手紙12章に「一つのからだには多くの器官があり、しかも、すべての器官が同じ働きはしてはいないように、大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っている」(4~6)と言っています。ここでは、からだの部分のことを器官と表現していますが、「すべての器官が同じ働きをしていない」(4)と言っています。私たちはキリストのからだに属しているのですが、からだには目、耳、口、手、足などいろいろな器官から出来ていて働きが違うように、私たちもお互いの違う賜物をもって主に仕え教会に仕えて奉仕します。しかも、からだのそれぞれの部分が、それぞれの立場と賜物を生かして仕え合うとき、からだは全体として成長し、建て上げられていくのです。その際大切なことは全体の益になるように用いられることです。そのためには聖霊による愛(互いに尊敬し合い配慮する)の一致が大切です。

高齢者であるとか様々な配慮で「奉仕係」に掲載されていない兄弟姉妹も祈りの奉仕ができます。宗教改革者のマルチン・ルターは祈りについてこう言っています。「服を作るのが仕立屋の仕事であり、靴をなおすのが靴屋のしごとであるように、祈ることはクリスチャンの仕事である。」私も妻に「何もできなくなっても祈りという仕事を許される限り続けたい。」と言っています。祈りの課題は時間が足りない程たくさんあります(エペソ6:18)。

教会は地上におけるキリストのからだとして働き完成させていかなければなりません。私たちが成熟してキリスト似た者に変えられて行きつつ、教会がキリストにあって満ち満ちたものとなることを目指すのです。

それでは教会は成長し建て上げられていくことだけが最終的な目標でしょうか。神が愛する御子イエスさまをこの世に送ってくださったのは人の救いのためでした。テモテへの手紙第一2章「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられる。」(4)と言っています。神は人々が一人でも多く救われることと永遠のご経綸の完成を目指しておられます。ですから教会を建て上げて行くだけでなく大切な使命があります。それは救霊です。

滋賀県のある町の医療センターの看護師のトップの非常に人望の厚い人が50歳でガンのため召天されました。お姉さんが直ぐ来てくださいと連絡があり、私たち夫婦が急ぎ病院に行き、お導きする中で救われ病床洗礼をお授けしました。お顔が喜びに変わり不思議なように意識がはっきりしました。数曲賛美し祈りをささげ私たちはお別れしました。その後、少し元気になられ担当医、医師、看護師の方々が多くお見舞いに来られお話ができました。一時間以上楽しく思い出話をされ過ごされ翌日召されました。葬儀には多くの医師と看護師が参列されました。葬儀後棺の姉妹のお顔を見られ看護師の方々が私の所に来られ皆さんが異口同音に分け隔てされない、人に寄り添ってくださるすばらしい人だったと話して下さいました。そのご様子を知り、これからと思われるような状況の中で若くして死を迎え、人間的に言えば残念だったと思います。しかし愚痴一つ言われることなく、死を恐れられることなく、最後のときをにこやかな顔で過ごされたのはキリストの福音によって救われたからです。改めて人生と死の解決を与えるキリストの福音の素晴らしさに目を開かれました。

兄弟姉妹もお読みになったと思います。インマヌエル教報1月号で教団代表の岩上祝仁牧師が「主の宣教大命令を心に抱き」と題して巻頭言をお書きになっていました。「抱き」とは「心の中で、人の救いのことを思いつつ」個人生活も教会の活動にも励みなさいとのメッセージと受けとめました。時代は大きく変わり不安、恐れ、迷い、先行き不透明です。そのような中で救われ、死と人生に解決が与えられ確信もって生きることができるのはイエス・キリストの福音であり、救いです。キリストの恵みで満たされた教会を建て上げ、この福音を伝えるために励みましょう。


*1 エペソ人への手紙 1:23

1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。


第1コリント 12:20-27

12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。

12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。

12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。

12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、

12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。

12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。

12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。

12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

 

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