アブラハムの切実な願い
2022年5月1日 メッセージ要約
創世記 18章16~33節 *1
先週はティべリア湖の岸辺に立つイエス様は愛と同情とあわれみの心で私たちを導いてくださるお方であり、さらに「みことば」をもって私たちを導き、私たちの必要を満たしてくださるお方であることに心を留めました。福井先生の尊いご奉仕に心から感謝いたします。
今週からアブラハムの記事に戻ります。18章にはサラの笑いから、信仰的なことを理解するには、霊的な覚醒が必要である事に心を留めました。具体的には先週も語られましたように、みことばをもって導いてくださる神様のみこえを聴き、それに従うことで霊的なものがはっきりと理解できるようになります。
今日はその続きです。話は急に変わり、神様がソドムとゴモラの町を滅ぼそうと計画されています。(20節)神様はその御心を、アブラハムに打ち明けなさいます。(17節)そして、22節からアブラハムのとりなしの祈りが始まります。(23~26節)最初はソドムとゴモラに50人の正しい人がいたならば赦してくださいと祈ります。それが、45人、40人、30人、20人、最後は10人、10人いたら助けてください、との、とりなしの祈りでした。しかし、結果はどうだったでしょうか?
19章の27節。アブラハムの目に入ってきたのはソドムとゴモラの地からかまどの煙のようなものが上がる悲惨な状況でした。あの美しい低地が焼け野原となった光景でした。結局、ソドムとゴモラには10人の正しい人がいませんでした。アブラハムの祈りは聞き届けられなかったのです。しかし、19章29節、「神はアブラハムを覚えておられた」とあります。それで、神はロトを逃れさせます。しかも神様が必死になって助けてくださったことが記されています。(次週見ます)
毎週、祈祷会が行われています。私は2016年11月にこの教会に来ました。それから、5年と半年皆さんが家族の救いのために熱心に祈っておられます。そして、私もそうです。信仰から離れてしまった家族のために祈っています・・・
先日、こんなお証を聞きました。ある牧師のお母様が天に帰る少し前に、「私は良い、お母さんではなかったね。」と急に言われたようです。しかし、思い当たることがなかったその牧師は「そんなことないよ。いいお母さんだったよ。」と否定したそうです。でも、次の瞬間、
ハッとして、お母さんが認罪を感じていると直感的に分かり、そこからイエス様をお伝えすることができ、信じて天国に帰られました。
「神が低地の町々を滅ぼしたとき、神はアブラハムを覚えておられた。」19章29節。私たちは祈りを諦めてはいけない理由がここにあります。
私たちは家族のために祈ります。どうか息子を教会に返してください、娘の信仰が回復しますように、あるいはご主人のために、または奥さんのために祈っておられると思います。
しかし、私たちの目に入ってくるもの、あるいは、私たちの耳に聞こえてくるものは、28節のような、かまどの煙のように、悲惨な光景なのかもしれません。「祈りはかなわなかった」と思う瞬間が私たちには沢山あります。家族、親戚、友人、近所の人、知り合いがこの会堂で礼拝を守ることができたら、これ以上の感謝はありません。しかし現実は・・厳しいです。
でも、今朝はこの一つだけ覚えていただきたいと思います。
「神が低地の町々を滅ぼしたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼしたとき、神はロトをその滅びの中から逃れるようにされた。」ここに大切なことが2つ書いてあります。
① 神様は祈っている私たちを良く知っていてくださいます。
アブラハムは50人の正しい人がいたら・・から始まって10人まで6回祈りを繰り返しました。必死の祈りです。神様はこの祈りを記憶されていました。私たちは何回、祈ったでしょうか?100回?200回?300回?毎日祈れば1年で365回になります。神様は私たちのことをいつも覚えていてくださいます。
② 町々が滅ぼされた時、ロトが救われたことをアブラハムは見ていません。いや見えませんでした。アブラハムは遠くから大きな煙を見ました。あそこに、甥のロトがいることを知っていました。ロトは救われなかったと思ったでしょう。しかし、実は、神様は必至でロトを救われました。それは、来週見て行きますが・・以前、中村さんがお証しされました。祈りによって家族が救われると信じているとの信仰の証しと一緒です。
③ ①、②の次の祈りの段階として
ガイオン夫人の「短くて簡単な祈りの方法」の17章に
「願い求める祈り?」があります。紹介します。
あなたは以前、容易に願い求める祈りをすることができました。しかし、この道(1章~16章までの内容)を歩み続けるなら、願い求める祈りをすることができなくなります。
どうか、このことにあまり驚かないで下さい。なぜなら今、祈るのは聖霊だからです。聖霊は、神の御旨にしたがって、あなたのためにとりなされます。聖霊は私たちの弱さを助けて下さいます。「私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなして下さいます。」(ローマ人への手紙8章26節)。あなたは神の御旨を支持しなければなりません。神は、あなたからあなた自身の働きをすべて取り去って、ご自分の働きに置き換えられます。
ですから、明け渡しなさい。何ものにも執着してはいけません。たとえどんなによさそうに見えるものでも、それに執着してはいけません。あなたを神の御旨から逸らすものは、よいものではありえません。なぜなら、神の御旨は他のあらゆる善よりもまさっているからです。自分の関心をすべて払い落としなさい。そして、信仰と明け渡しによって生きなさい。純粋な信仰が真に働き始めるのは、ここからです。
祈りそのものは素晴らしいものです。しかし、祈った後、神様にお委ねする信仰(神様はこのことをして下さる)が必要です。神様はアブラハムの祈りを覚えておられました。私たちも「祈る行為そのもの」よりも、「神様ご自身のお働きにお任せする信仰」がなければ、祈りは一方通行になります。
祈ったならば、結果はどうであれ、神様が最善にしてくださる信仰を働かせていきましょう。私たちは結果を出そうと焦ります。そして、いつの間にか神様を私たちの奴隷としてしまうことがあります。「○○してください。」と。その願いがかなったのなら喜び、かなわないならば不信仰になる・・という悪いサイクルがあります。そうではなくて、神様はこの祈りを通してどのように働いてくださるか、あるいは、私自身に何を教えようとしておられるかを聴く耳と心が必要です。そして、あるいは心を変えていくことが必要です。神様が何を語られるかを静かな場所で聴く時に、その過程を通るときのみ、信仰の深さ、ありがたさ、慰め、神様の真実さ、を知ることができます。
アブラハムはこの祈りを通して神様との関係を深めていきます。そして、やがて、大きな試練の中でも神様に真実に従う聖徒へと成長していきます。
もう一度、祈りを点検してみましょう。
*1 創世記18章16~33節
18:16 その人たちは、そこを立って、ソドムを見おろすほうへ上って行った。アブラハムも彼らを見送るために、彼らといっしょに歩いていた。
18:17 【主】はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
18:18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。
18:19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて【主】の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、【主】が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」
18:20 そこで【主】は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
18:21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
18:22 その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、【主】の前に立っていた。
18:23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
18:24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
18:25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行うべきではありませんか。」
18:26 【主】は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」
18:27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。
18:28 もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」
18:29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」
18:30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」
18:31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」
18:32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」
18:33 【主】はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。
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