よろこびが満ちあふれるために

2021年2月7日

ヨハネの手紙第Ⅰ 1 章 1 4 節


使徒ヨハネはイエス様に格別に愛された弟子です 。十字架では、迫害を恐れて逃げた弟子には混じらずに、一人、十字架の下におり、イエス様からマリアさんを託され、イエス様の最期を看取りました。

イエス様に出会ったばかりの時は、怒りっぽく、イエス様に反抗的な街に対して「イエス様の力でこの町を焼き尽くしたらいかがですか」等言っていました。しかし、イエス様を信じてからはとても、穏やかな使徒になりました。晩年 、イエス様の教えが曲解される 教え が強くなると、正しい信仰の継承のために、ヨハネの福音書、ヨハネの手紙第Ⅰ,Ⅱ,Ⅲを書きました。さらに、迫害も激しくなり、ヨハネ自身もパトモス島に流され、そこで、ヨハネの黙示録を書きま す 。新約聖書の中でも、ヨハネが記した割合は多 く、神様に用いられた使徒でした。ヨハネが生涯語り継いだ メッセージは一つです。「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」ヨハネの福音書 20 章 31 節 に書いてあるとおりです 。 ヨハネは、 一人でも多くの人が、イエス様と出会い、信じること を心から願っていました 。その中でも、ヨハネの手紙第Ⅰは、異端に対する警告が多いのですが、「具体的に信じるとは何ぞや」が丁寧に書かれていいます。

新型コロナウィルス 禍の中、 私たちは、自分自身、家族、仕事、多くの問題を抱えています。 「恐れずに、信じる」と いうテーマが今年与えられています。「恐れずに信じる」とは、どのようなことかをヨハネの手紙第Ⅰを通してしばらく見ていきたいと思います。今日は「信じるとは喜びが満ちあふれる」ことを見て行きましょう 。


今朝は、1 章の 1 節~ 4 節です。サーと目を通してい頂くと気がつかれるものがあると思い ます。「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」ヨハネの福音書 1 章 1 節と書き出しがよく似ています。「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて・・」 1 節 。 よく、似ています。ヨハネの手紙第Ⅰの方が、具体的に記されています。聞いた、見た、触れた、とイエス様を感覚的にとらえていたことが分かります 。

当時、グノーシス主義といって、物質、物体は全て悪い物であり、目に見えない霊的なものは聖い存在で良い物。ゆえに、イエス・キリストは人としてお生まれになったのは、物質なので、悪い物。神なら、目に見えないはず・・。という思想が教会に入り込み、多くの人が、教会からグノーシス主義に傾倒していきました。

それでヨハネは、キリストは初めからおられた、唯一の神である。つまり目に見えない霊的な存在である、と同時に人としてお生まれになった。ヨハネはイエス様の話を聞き、イエス様のお姿を目で見、また、イエス様に触れることもできた。 つまり、 、イエス様は完全な神であり人であった、とグノーシス主義を否定します。

2節にも、 3 節にも見た、聞いたと繰り返し、イエス様の神性を 強調しています。しかし、それ以上にもっと大事なことをヨハネは言っています。 それは「交わり」です。クリスチャン同士の「交わり」とともに 御父、また御子イエス・キリストとの交わりです。 その結果、私たちの喜びが満ちあふれるためです。 と。

実は、私たちは最初から神様と交わりを持つことが出来ません。

三浦綾子さんは「氷点」という小説の中で原罪を鋭く表現しています。「いままで、 どんなにつらいときでも、じっと耐えることができましたのは、自分は決して悪くはないのだ、自分は正しいからだ・・・」という陽子のことばがあります。 自分を正しいとすることは、 自分を神とすることです。 しかし、このことばを言った、陽子は犯罪者の娘であることに気がつき、どんなに自分は正しいと思っていても、その血には犯罪者の血が流れていることを知り、愕然とします。


創世記3 章 4,5 節で「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」とあります。つまり、 このヘビのことばは、神と私をイコールとすることです。 私たちは神様の交わりから、独立し、自分の判断で生き ることを選んでしまいました。 その結果は、 3 章 22 24 節になります。死と交わりの断絶と労苦です。皆さん、イエス様を信じる前の自分を思い出してください。いかがでしたか。希望なく、ただ、仕事をし、解決しない、ブラックホールを常にかかえていたのではないでしょうか。

しかし、イエス様の十字架により、イエス様との交わりを回復しました。皆さん、いかがですか。 2000 年前の十字架が、消えることのない希望と恵み、確信 を与えてくださったことを思い出 しましょう 。 その喜びは満ち溢れます。そして、具体的に喜びが満ちあふれるために、神と人のために生きることを決意することです。

マザーテレサのことばです。

やさしく情け深く ありなさい。

あなたのところに 来た人たちが

みんな 必ず もっと元気に もっと幸せになって 帰るようにしなさい。

このことを実行するなら、喜びは、満ち溢れます。


「喜びが満ちあふれるために」罪から解放されたことを信じ続け、人々のために生きる 1 週間でありますように。

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