とどまる恵み

2021年6月20日 メッセージ要約

ヨハネの手紙第1 4章13~16節  *1


今日の箇所はヨハネの福音書15章の「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。」のメッセージを思い出します。今日の第Ⅰヨハネ4章の13~16節の短い箇所に「とどまる」というおことばが7回出てきます。一方ヨハネの福音書15章には1~11節の中に11回出てきます。

そして11回とも同じことを言っています。イエス様にとどまりなさい。そうすれば、イエス様も私の内にとどまってくださる、です。

第Ⅰヨハネの4章も同じです。「神はその人のうちにとどまり、その人も神の内にとどまる」です。


とどまるとは「その場所にいる、止まる、滞在する、宿泊する、中止になる、心や耳に残る、関心をもつ」等の意味があります。言い換えれば、「動かない」と言うことでしょうか。


神が私たちの内で動かない、一方、私たちが神の内に動かない。

どういうことでしょうか?


ユダヤ人の精神科医であった、ヴィクトール・フランクルという人がいました。フランクルは大変早熟なこどもで、4歳で「生きる意味」を考え始めたと言われています。24歳の時、うつ病の若者のための相談所をつくります。相談所は評判を呼び、ヨーロッパ6都市にまで設立され、フランクルは講演会なども行いました。しかし1936年に第二次世界大戦が始まるとヒトラー率いるナチスがヨーロッパで猛威をふるいます。ユダヤ人だったフランクルは家族と共に収容所へ送還されてしまいました。最初の収容先はテレージエンシュタット収容所で、そこで2年間過ごすこととなります。そして1944年にホロコーストで最大の


犠牲者を出したアウシュヴィッツに収監され、そこでガス室に行かない選別を受けたフランクルは3日後にまた別の収容所、ダッハウ収容所へと送られます。その後ヒトラーの自決によりドイツは降伏し、フランクルも約3年間にわたる収容生活から解放されました。

しかしフランクル以外の家族はこの期間で全員収容所で亡くなり、フランクルはどん底の状況からのスタートとなりました。

それでも再び医師として働き始め、収容所の経験をもとに書かれた「夜と霧」は世界中でベストセラーとなり60年以上にわたり読み継がれています。日本でも東日本大震災の後に多く読まれた本の一つとしても有名です。その後は心理療法で有名なロゴセラピーを生み出し、晩年は失明しながらも精力的に講演活動を行い自身の体験を世界中に伝えていきました。そして1997年、92歳でヴィクトールフランクルは息を引き取りました。

 フランクルが強制収容所の極限状態で悟ったことは「生きていることの意味、また、様々な体験の自分にとっての意味」でした。意味が見いだせないと、表面上は多くの活動に忙しくしていても、心は退屈し、疲れていきます。そして、心で深く感じたり、感動することが少なくなっていきます。

 信仰の歩みでも、出来事や体験の霊的な意味を見出せずに、目に見える現象に一喜一憂するだけなら、信仰生活にマンネリや淀みが出てきます。やがて、自分を見失い、神様の臨在を見失い、今、ここでかたりかけてくださる神の語りかけも聞こえにくくなります。


日々の生活の中で、しばし立ち止まること、立ち止まってふりかえることが生活の一部分になるなら、知らず知らずのうちに自分の心や生き方が変わってきます。 それが、「神はその人のうちにとどまり、その人も神の内にとどまる」です。


生きていることの意味を見出すために重要なのが「みことば」です。みことばを読む時に私たちの心に神がいてくださり、また、神の内に私たちが居ることが初めて実感できます。


そして、みことばを読む時に2種類の読み方があります。一つは、聖書の背景をよく知り、作者ここでは、使徒ヨハネが何を伝えようとしているのか具体的に知ることです。そのためには、原文のギリシャ語を学ぶ必要があります。これは、講壇に立って皆様に聖書を語るときにはこの読み方でないと、自己流の聖書解釈を皆さんに提供してしまい、危険です。牧師の仕事の中で最も大切な仕事です。


もうひとつの読み方は生活を潤す心の糧となり、また、信仰生活を日々豊かにし、今日、ここでかたりかけてくださる神の語りかけを聞く読み方です。これをつかむことが出来れば、「神はその人のうちにとどまり、その人も神の内にとどまる」が現実のものとなります。この方法はとても簡単に聖書を読みます。聖書の背景も、文化も作者の意図も時としては無視します。これは、人の前で聖書を語る読み方ではなくて、「神様と私」の関係を豊かにする読み方です。


読む箇所は数節で結構です。今日は4節です。13~16節。

① 聖書を読むために心と体を整えます。数分黙想します。

「私は主を待ち望みます。私のたましいは待ち望みます。主のみことばを私は待ちます。」詩篇130:5を心の中でゆっくり唱えます。

② 今日の箇所をゆっくり、ゆっくりと一語、一語味わいながら読みます。くりかえし口ずさみます。あるいはその箇所の朗読を聴きます。情景をできるだけイメージし、その場に自分がいるように・・

③ 心に留まる箇所があれば、そこをじっくりと思いめぐらします。思い巡らす中で、心に浮かんできた思い、気持ち、実際生活のなかで思いめぐらされたことがあれば、それをメモします。

④ その、みことばによって思いめぐらした内容を神様に祈ります。

主に語りかける祈りです。

⑤ そして、神様が今日語ってくださったおことばから、何を自分に語りかけてくださるかを待つ、あるいは思いめぐらします。数分沈黙します。①から⑤まで30分くらいかかります。

 この読み方ですと心に1節多くて2節のみことばだけあるいは、一つのことばだけが残ります。そして、一日の内に何回か、そのみことばが響いてきます。それを元に生活する時に、私たちの信仰生活は豊かになります。

神様にとどまるために、私たちは時間を止める必要があります。

最初はとても、面倒に感じます。しかし、これがなければ、いられないほどにおことばが慕わしくなります。


さらに、試練や苦しみのときに「その意味付け」を神様が教えて下さいます。それを知る手掛かりになります。


一日に30分、あるいは数分神様の前に止まりましょう。


私たちの人生が全く変わってきます。


「神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。」ヨハネの手紙第Ⅰ 4章13節



*1 ヨハネの手紙Ⅰ 4章13-16節

4:13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。

4:14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。

4:15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

4:16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。

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