あなたに話したい神さま
2021年8月22日 メッセージ要約
サムエル記Ⅰ 3章1-10節 *1
インマヌエル高津教会 戸塚雅昭牧師
コロナ感染が子どもたちまでに広がっています。医療関係の方々を特に覚えて祈っていきましょう。
藤本先生は軽井沢でのご奉仕で不在です。今日は上田教会、宮崎教会
主のめぐみ教会と礼拝を守れますことを感謝いたします。
Ⅰ語りかける神様
少年サムエルの絵があります。私の印象では6歳くらいかなと思います。しかし、今日のみことばから推測しますと、小学4年生くらいではないかと思います。
サムエルは4回神様に呼ばれました。
サムエルは門前の小僧でした。サムエルは2歳からエリの元で修行します。寝泊りは主の宮でした。恐れ多い場所で寝ていました。
以前サマーキャンプは外でやっていましたが、教会で1泊2日で行うようになりました。イスを2つつけてベッドのようにして寝ました。子どもたちは大喜びです。教会で寝泊まりするのは幸いなことでした。
静岡教会での奉仕の時、台風のために会堂に寝泊まりした。誰も居ない教会の2階に一人寝る怖い経験をしました。それでも、朝起きて、一人で礼拝堂で祈った時に神の臨在を覚えました。
サムエルは神様に呼ばれたという意識は最初はありませんでした。
3回目に神様はサムエルを呼ばれた。エリは、サムエルが3回呼ばれた時、温かくサムエルに助言します。
一方、サムエルもエリに忠実に仕えていた様子が伺えます。
何故、サムエルは神様だと気がつかなかったのでしょうか。
それは、まだ、主を知らなかったからです。
神様と人格的には出会っていませんでした。
神様はサムエルと話がしたかったのです。
名前を呼ばれるとは親しみの表現です。
聖書には名前を呼んだ後に大切なことを話されている神様のお姿があります。
モーセの召命の時「モーセ、モーセ」
イエス様が忙しいマルタに語りかける時、「マルタ、マルタ」
パウロの召命 「サウロ、サウロ」
神様は私たち1人、1人にも名前を呼ばれます。
どうしてでしょうか?私たちと話がしたいからです。
そして神様の方から話してくださいます。そして神様はどうしても私たちに話したいことがあります。
今日、初めて礼拝に参加されたあなたにも話したいことがあります。
Ⅱ語り続けておられる神様
私たちはあまり神様を意識していません。どれくらい味わっているでしょうか。
教室の掲示物を見回っていた時があった。(戸塚先生は小学校の先生でした)
ある教室に行くと、聴くとは耳+目+心で聴く、という掲示がありました。
私たちは今朝起きてからどれくらい神様の声を聴いたでしょうか。
神様の声を聴くとは、努力や訓練で聞けるわけではありません。心を開くだけです。神様は語り続けておられます。
神様の語りかけ方はあらゆるところにあります。10個あげてみます。
① 直接語られる
② 預言者を通して語られる
③ 夢、幻を通して語られる
④ 天使、御使いを通して
⑤ イエス様を通して
⑥ 聖霊様によって
⑦ 人のことば
⑧ 自然界を通して
⑨ 様々な状況から
⑩ 聖書のみことば
一番なじみがあるのは聖書のおことばではないでしょうか。
Ⅲもし、神様の語りかけを聞いたなら、今までとは同じではありえない。
神様はエリの問題をサムエルに語ります。エリはサムエルが神様に語られたことを聞いて「それは、主のみこえ」だと言います。
その後、サムエルのことばは一つも地に落ちませんでした。神様に語られたら今までと同じではありえません。
こんどうこういちさんの話し
こんどうこういちさんとは院内名です。実名ではありません。こんどうさんは視力もなく、手の指もありません。ハンセン病の施設では院内名でこんどうさんと呼ばれていました。
ある友人がこんどうさんに聖書を読み始めました。それ以後、彼の生涯が変わります。
こんどうさんには指がありません。目も見えません。そこで、舌先で点字を読むことにした。
しばらくすると、口は痛みを感じ血にまみれます。
しかし、聖書を読むことを辞めませんでした。
友に聖書の話を聞かせたかったのです。
聖書を舌読する人と言われるようになりました。
私たちも神様に語られたら同じ人ではありません。
神様の声を聴いたなら私たちは悔い改めに導かれます。
悔い改めとはごめんなさいと謝ることではありません。
悔い改めとは視点の転換です。
まだ、気がついていない恵みの世界を知ることです。
時として、私たちは人の言葉が気になって仕方がない時があります。
それは、神様の語りかけかもしれません。
あるいは、辛いニュース、嫌な出来事、失敗、思いもよらない試練に見舞われる時に、聖書を読みたくなります。それは、神様の語りかけを聴くチャンスです。神様が言います。「あなたに特別に話したいことがある」と。神様の声を聴くのは今ではないかもしれません。
もしかしたら1週間後かもしれません。あきらめずに聞きましょう。
そして、それは変えていただけるチャンスであり、気づかせていただけるいのちの泉です。心の糧です。さらに先週とは違う新しい恵みです。決して、同じではありません。
「お話しください。しもべは聞いております。」
神様の声を聴く1週間でありますように。
*1 サムエル記Ⅰ 3章1-10節
3:1 少年サムエルはエリの前で【主】に仕えていた。そのころ、【主】のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
3:2 その日、エリは自分の所で寝ていた。──彼の目はかすんできて、見えなくなっていた──
3:3 神のともしびは、まだ消えていず、サムエルは、神の箱の安置されている【主】の宮で寝ていた。
3:4 そのとき、【主】はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい。ここにおります」と言って、
3:5 エリのところに走って行き、「はい。ここにおります。私をお呼びになったので」と言った。エリは、「私は呼ばない。帰って、おやすみ」と言った。それでサムエルは戻って、寝た。
3:6 【主】はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい。ここにおります。私をお呼びになったので」と言った。エリは、「私は呼ばない。わが子よ。帰って、おやすみ」と言った。
3:7 サムエルはまだ、【主】を知らず、【主】のことばもまだ、彼に示されていなかった。
3:8 【主】が三度目にサムエルを呼ばれたとき、サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい。ここにおります。私をお呼びになったので」と言った。そこでエリは、【主】がこの少年を呼んでおられるということを悟った。
3:9 それで、エリはサムエルに言った。「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、『【主】よ。お話しください。しもべは聞いております』と申し上げなさい。」サムエルは行って、自分の所で寝た。
3:10 そのうちに【主】が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げた。
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